参加者・保護者の声

仙台高等学校吹奏楽部 アメリカフロリダ研修 感想文集

    (2005年12月25日〜2006年1月4日 生徒11名参加) 

島貫 沙織(2年 打楽器/団長)
矢吹 ちづる(2年 ファゴット/副団長)
渥美 有花(2年 クラリネット)
阿部 優子(2年 フルート)
石川 由佳(2年 打楽器)
石黒 絵美(2年 テューバ)
齋藤 あゆみ(2年 フリューゲルホルン)
千葉 優美子(2年 クラリネット)
大久保 雪乃(1年 クラリネット)
小松 恵子(1年 フルート)
下田 真美(1年 アルトサックス)
石黒 絵美さんのお母さん
島貫 沙織さんのお母さん

島貫 沙織(2年 打楽器/団長)

 

 私がアメリカ研修を提案したきっかけは,今まで,コンクールや演奏会などをやってきて,賞をいただいたり,「すごいね」と言われたりしてきました。しかし,それは日本国内だけのことであって,私の知らない世界で,自分たちの音楽はどこまで通用するのか,言葉の分からない場所で,音楽によって何を伝えられるのか確かめたかったからです。私の中でアメリカに行って演奏するなんて,夢のまた夢でした。前回のアメリカ研修を行った時の資料などをみて,「アメリカに行きたい!」と強く想いました。

 夢だったからこそ,これを実現するためには,たくさんの困難がありました。まずは一つ目が大変でした。何もしっかりしたことが決まっているわけでもないので,参加を決定するのが難しいという人ばかりでした。参加する代表者で大体の大枠と,そしてアメリカに行く目的などしっかりと決め,親宛にプリントを作ったり,ISAさんもお呼びしつ説明会も行い,今回の11人が集まりました。11人と少人数だと演奏上,楽器の編成の偏りなどがありました。それをなんとかカバーするために,メロディーを増やしたり,無いパートを違う楽器で入れたりなどの練習を,部活全体の行事で忙しい練習予定の中をやりくりしてきました。

 そして,いよいよ出発の日となり,期待と不安を抱えながら親に見送られ,仙台を後にしました。オーランドまでの中間地点の乗り換え場所のダラス空港に到着した時,やはり外国人ばかりで,正直怖かったです。搭乗まで時間があったので,自由時間を設け,アメリカでの初めての買い物に挑戦しました。最初は自信がなくて,小さな声で言ってしまい,なかなか通じませんでした。とにかく自信をもってはっきり言うようにしないと伝わらないので,二件目のお店では頑張り,ちょっとした会話もすることができました。

オーランドに到着して,ジェイソンさんに再会しました。日本語が通じる外国人に会えて,正直安心しました。この日は,飛行機に長時間乗っていたので,疲れてホテルに行きました。

 しかしその日の夜に,あるハプニングが起こりました。私たちの部屋のトイレの水が溢れ出て,止まらなくなってしまい,ベッドの部屋にまで襲ってきました。すぐに私は先生を呼びに行ったところ,フロントに行ってこいと言われ,私は走ってフロントに行きました。しかし,途中でよく考えてみると,まだアメリカに着いたばかりで,私はまだろくに英語を話せないのに,どうやって伝えればいいのか不安になりました。今はとにかく頑張らなければと思い,知っている単語を並べ,ジェスチャーを交えながら説明をして,なんとか部屋をチェンジしてもらうことができました。ちょっと水恐怖症になりました。

 騒がしい一夜も明け,次の日は待ちに待っていたホストファミリーとの対面でした。英語が通じるか,文化の違う中で生活していけるか心配でしたが,ホストファミリーは辞書などを使って,一生懸命伝わるようにしてくれて,私たちも自分たちのことをもっと話したいと思えるようになっていました。夜ごはんに,ピザ屋で家族と待ち合わせしました。お父さんが黒人で最初はビックリしました。しかし,すごく愉快で優しくて強い人で私は大好きになりました。

 次の日は老人ホームで演奏がありました。アメリカに来て初めての演奏でした。演奏するだけではなく,織り紙の折り方なども生徒と先生で教えたりなどもしました。私はこのコンサートで,音楽の力のすごさを改めて知ることになりました。言葉が通じなくても,私たちの演奏を聴いて,老人ホームの人たちは踊ったり,手拍子をしてくれたりしました。本当に音楽やっていて良かったなと感じたコンサートでした。

 ホームステイ先での,最後の夜に日本食のカレーとそばを作りました。私たちのホストファミリーは,ほとんどの人が仕事をしていて,いつも帰りが遅く,この日も9時ごろに帰ってきました。しかし,私たちの作ったごはんを食べるのを楽しみにしてくれて,疲れているはずなのに,夜遅くまで,食事したり,遊んだり,話したりして過ごしました。日本語を教えたりなどをして,とても楽しかったです。

 そしてとうとうホストファミリーとの別れの日が来ました。さよならコンサートには,忙しい中,お父さんとお母さんが来てくれました。ボディパーカッションをとても気に入ってくれました。私がドラムをやっている時に,GOODのサインを送ってくれました。最後に色紙と写真をプレゼントしました。いつでも帰っておいでと言ってくれました。本当の家族のようで,別れがとても辛かったです。この家族で本当に良かったと心から思います。

 ホストファミリーとも別れて,この日は楽しみにしていた,ディズニーワールドでした。遊ぶことも楽しみでしたが,何よりディズニーで演奏することを一番楽しみにしていました。ワークショップでのサウンドセッションは,初見の際に大切なことなどを学びました。ディズニー映画の「美女と野獣」にもあわせて演奏して,とても楽しかったです。エレベーター式のステージでの演奏も,みんなとても緊張していましたが,ディズニーのスタッフが声をかけて下さり,二回に渡るステージを無事成功させることができました。ディズニーで演奏できるなんて,人生で二度とないことだと思うので,大変貴重な経験をさせていただきました。そして,高校生活の良い思い出になりました。

 そして,とうとうアメリカを出発する日,同時に十日間お世話になったジェイソンさんとのお別れもありました。私たちのアメリカ研修が成功したのも,ジェイソンさんのおかげでした。ジェイソンさんはとても優しくて,面白い方で,私たちが気持ちが伝わらなかったり,不安でいたりした時に落ち込んでいた時にいつも笑わせてくれたり,励ましてくれました。本当に感謝しています。ありがとうございました。

 このアメリカ研修を通して,私は音楽の力の素晴らしさと交流と自己表現の大切さを学びました。自分たちが何も分からない場所で過ごすのはとても不安ばかりでしたが,支えてくれた先生やジェイソンさんやホストファミリーやディズニーのスタッフ,そして十一人のメンバーには大変お世話になりました。ありがとうございます。そして,日本で私たちの帰りを待ってくれた親にも感謝しています。このアメリカ研修はたくさんの人たちのおかげで,このような素晴らしい研修となりました。良い経験をさせていただきありがとうございました。

矢吹 ちづる(2年 ファゴット/副団長)

 今回のアメリカ研修では,私にとって,とても大切で忘れられないことがたくさんありました。「最初は興味があるから…」ぐらいの気持ちでしたが「この研修で自分を変えたい!!」と思い,参加を決意しました。

 出発までの道のりはとても長く,1から始めたということもあって,何をすれば良いかわからず,悔しくていつも泣いていました。何回かオリエンテーションを開いたり,テスト勉強時間をつぶしてまで練習をしたこともあり,自分に自信を持てるようになりました。

 実際の研修では,ホームステイやディズニーワールドでの演奏など,一つ一つのことを楽しむことができました。ホームステイでは,ホストファミリーと対面した時,「この家族は私のことを受け入れてくれるのかなぁ…」ととても不安でした。最初はなかなか英語が通じず大変でしたが,何回か会話をしていくうちに,普通におしゃべりができるようになって本当に嬉しかったです。それはホストファミリーが私たちが伝えようとしていることを,何がなんでも聞き取ろうとしてくれたおかげだと思います。

 さよならコンサートの時,ずっと笑顔で聴いてくれていて,演奏が終わった後も,ずっと「良かったよ!」と言ってくれました。最後にお別れのときには,「あなたは私たち家族に多くの思い出を刻んでくれたよ。本当にありがとう。」と言われたときには,今までの感謝の気持ちと,寂しさで涙があふれてきました。家族の温かさをすごく感じて『愛』があるなぁと思いました。本当にホームステイができて良かったです。

 ディズニーワールドの演奏は,今回の研修のメインということもあって,「どんな人がいるんだろう。冷めたりしないかなぁ…」ととても不安でした。そこで, やってやるぞと思い,演奏に集中したおかげで,演奏が終わったときには,ディズニーのスタッフの一員になれた気がしました。お客様もすごく喜んでくれて,ディズニーで演奏できて,本当に良かったです。

 また,ワークショップでは,ただ映像に合わせて吹くだけではなく,音楽をする上で重要なことを学ぶことができ,良い体験ができました。

 今回の研修では「もう少しはやくやっていればこれができたのに…」ということもありましたが,私はこのメンバーで一緒にアメリカ研修に参加できて,本当に良かったです。そして何よりも,アメリカメンバーの全員が前進することができたのが,本当に嬉しいです。

 最後に,私たちのためにいろいろと計画を練ってくださった熊谷さんと,ジェイソンさんに感謝したいです。とくにジェイソンさんには,現地でずっと私たちについてくださり,最高の思い出を作っていただきました。アメリカに来て本当に良かったです!!

I LOVE アメリカ☆☆

渥美 有花(2年 クラリネット)

私がアメリカに行きたいと思った理由は、外国が好きで他の国の人たちと仲良くなりたいと思ったからです。アメリカに滞在して分かったことは、アメリカ人は明るくて積極的な人が多いということです。日本ではあまり考えられないけれど、見知らぬ人に声をかけてもちゃんと返事をしてくれて、まるで友達のように親しく接してくれます。私はそれが日本の文化にはないアメリカの良いところだなと感じました。11日間の間に出会ったお店の店員さんや道行く人、数え切れない人々との出会いが私にとって一番の思い出です。 

 その中でも特に心に残ったのが、ホストファミリーとの出会いでした。私は石川さんと一緒にロメロ家にお世話になりました。車が大好きなお父さんのモーリスに笑顔が素敵なお母さんのレベッカ、そして三人兄弟の長女の元気でしっかり者のエリカ、優しい弟のアレックス、そしてダンスが好きな妹のレベッカ。みんな明るくて笑顔の絶えない家族で何も分からない私たちを優しく迎え入れ「ここはあなたたちの家だから気を使わなくていいよ。」と本当の家族同然に接してくれました。

 ホストファミリーと過ごして一番大変だったことは言葉の壁があることでした。始めはジェスチャーや簡単な単語を並べて何とかコミュニケーションをとっていましたが、会話を重ねるうちに言葉が通じなくて1つのことを説明するのに何時間もかかってしまったり、間違った判断をして相手を傷つけてしまったりなど、学校の授業で英語を習っているのにいざと言う時に自分の気持ちを伝えられず落ち込んでしまう時が何度もありました。 そしてその度に家族は私たちを励ましてくれて、もっとこの人たちと沢山話せるようになりたいと思いました。今まではただ授業を受けるだけだったけれど、色々な葛藤があったおかげでどうして英語を勉強するのか、言葉が自分の気持ちを伝える大切な手段であることを改めて知るきっかけとなったのです。

 ロメロ家にホームステイをしてから3日目の夜、この日は初めて家族全員が揃っての夕食でした。メニューは私たちが作ったお好み焼きと蕎麦です。何回も失敗をしてしまい、あまり上手く作れませんでしたが、みんなおいしいと言って喜んでくれました。夕食を食べながら日本の話しや私たちの進路についてもとても親身になって話しを聞いてくれたりして、日本にいる時もあまり家族と一緒に過ごすことがなかったので私にとっても久しぶりの家族との団欒でした。モーリスはニカラグアでおきた戦争の話しをしてその戦争で戦死してしまった父や犠牲になった人々、戦争の恐ろしさを一生懸命教えてくれました。今まで家族の明るい面しか見ていなかった私はこの時初めて悲しい過去を知り、家族に一歩近づけたような気がしました。

 そしていよいよ家族と過ごす最後の日、全家庭を招待して「さよならコンサート」が開かれました。コンサートが終われば家族とお別れなんだなと思うと素直に望めない自分がいましたが、今まで言葉で伝えられなかったことを全て音にのせて演奏をしました。四日間アメリカの家庭にホームステイをして、私にとっては初めてのことばかりだったので、言葉も通じない文化も全く違う環境で過ごすのはとても不安でした。しかし、家族の優しさにふれてその不安もすぐになくなり、アメリカの文化を学んだり、観光するだけでは知ることのできないアメリカの良さを沢山発見することができ、日本の中で納まっていた世界が大きく広がりました。

 私はアメリカ研修での思い出を一生忘れません。そしてこの素晴らしい経験をするきっかけを作って下さった方々、協力してくれた方々に心から感謝します。ISAさん、グリーンバンドの熊谷さんとジェイソン、ホストファミリー、アメリカで出会った人、家族、先生方、部員のみんな…本当にありがとうございました!!

阿部 優子(2年 フルート)

 

アメリカに行きたいと思ったのは、仙台高校に入学しようと考えていた時からでした。もちろん吹奏楽をやりたいというのもありますが、基金留学をしてみたいと思っていたからです。その時の理由は英語が好きだからもっと話せるようになりたい、海外でたくさん友達を作りたい、日本と違っている所を自分の目で確かめたいということでした。しかし、基金留学は行きたい人の中から選ばれたり、もっと勉強しないと無理そうで、諦めていました。だから部活で行けるとなった時、本当に嬉しかったです。入学する前から思っていたことも実現するし、それに加えて音楽を通してさまざまな人と交流するという目的もできました。私の親は、「高校生活の間、しかもディズニーで演奏できるのは一生で一回だけだたら是非行ってきな」と言ってくれました。

 仙台駅から成田空港まで6時間、そこから飛行機でダラス、乗り換えをしてフロリダのオーランドまで行きました。全部で何時間掛かったのかわからないけれど、1日が24時間以上あるような感じでした。時差を考えながら睡眠を取っていたので時差ぼけはしないで済みました。私たちを現地の空港まで迎えに来てくれたのが、ジェイソン・グッドさんでした。ジェイソンさんは京都に住んでいて、日本語が上手で、ときどき関西弁になるとても面白い方でした。アメリカにいる間、さまざまな所でたくさん助けてもらいました。

 日本を出発してから2日目の昼、いよいよホストファミリーと会いました。私は、トランペットパートの斎藤あゆみさんと一緒でした。集合場所の高校に来ていたのはホストマザーのナンシーと息子のケビンでした。ケビンは17歳で、トランペットに似た楽器を吹いていて、ここの高校でマーチングをしているそうです。車の中で2人から話しかけられても何を言っているのか分からなく、「お昼は食べる?」という質問にもちゃんと答えられませんでした。もっと勉強しておけば良かったと後悔していました。

 お昼を食べた後は「ユニーバサル スタジオ フロリダ」に連れて行ってくれまた。日本とは違い、2つのパークに分かれていて、1つは軽い乗り物や3D中心で、もう1つは絶叫系の乗り物が多くありました。ジェットコースターに乗ってから、今までは怖いと思っていたのが本当に大好きになりました。ここの中でホストファザーのディビッドとケビンの兄のアンドリューに会いました。アンドリュウーは20歳で、高校の時にトランペットを吹いていたそうです。

 家に帰る時も家の中でも、自分から話しかけることもできなくて、話しかけられても答えられなくて困っていました。寝る時も、今日はありがとうだったり、おやすみとも言えなくて、部屋ですごい落ち込んでいました。あゆみと2人で明日からは積極的になろうと決心しました。それから少しずついろいろ会話ができるようになりました。

 夕食の後はいつも買い物に連れて行ってくれました。家族と過ごす最後の日、夕食はお好み焼きと味噌汁・うどん(インスタント)とお汁粉を作りました。その時はデイビッドとナンシーと4人で食べました。2人ともお好み焼きのアメリカで買ったソースとお汁粉は美味しくないと言っていましたが、お好み焼きのその他や味噌汁、うどんが美味しいと言ってくれて嬉しかったです。寝る前は皆で一緒に過ごしました。折り紙で鶴などを折ったり、日本のお金を見せたり、一緒に写真を撮ったりしました。最初の日ではろくに会話もできませんでしたが、積極的になろうと決心してから私たち自身も本当に変わったと思うし、家族が私たちに対する接し方も変わっていました。

 ホストファミリーへのさよならコンサートの時、私は1曲目を吹いている時から泣いていました。最後の曲、アメージング・グレイスの時は歌が歌えないし、吹けなくなるくらい泣いていました。お別れをする時には本当に涙が止まりませんでした。私たちの英語の文法やアクセントが間違っていて、通じなかったりして落ち込んだ時もありましたが、この3日間で1番に学んだことは、積極的になること、どんなに言葉が少ししか通じなくても、ちょっとしたことで笑い合えたりするコミュニケーションの大切さが良く分かりました。このホストファミリーで本当に良かったです。

 さよならコンサートを終えた次の日からは、ディズニーワールドで遊んだり、映画に合わせて演奏するレコーディング、そしてアメリカ研修メインの特別演奏をしました。

 レコーディングは最初から初見で、曲は簡単なのに全然吹けなくて、自分の初見力の無さに少し悲しかったです。自分はもっともっと初見力を付けないといけないといけないと思いました。指揮をしてくれたバンドディレクタの先生が言っていたことは、これからの部活にとても役に立つことばかりでした。

 特別演奏は午前と午後の2回で、演奏場所はファーストフードの店の中にあるステージでした。そこはエレベーター式になっていて、上へ上がるに連れて拍手の音が大きく聞こえてきたので、すごく緊張していました。演奏中は、小さい子も大人も口ずさんでいる人がいて楽しく吹くことができました。演奏し終わって拍手をもらった時には、大きな達成感がありました。

 アメリカに行って感じたことは、まず社交的だということです。乗り物に乗るまでの待ち時間に近くの人と会話をし始めるのが日本と違っていたことだと思います。それに食べ物がすごく大きくて、着色料がたくさん入っていそうな物がたくさんありました。ケーキの上に載っているクリームが原色で、すごく甘すぎたので、これには少し驚きました。そしてディズニーワールドなどで良いなと思ったことは、車椅子やベビーカーの人がたくさん居たということです。日本だと車椅子の人は乗り物にそのまま乗ることができないし、通行の邪魔になって迷惑だと感じる人も多いと思います。しかしここでは普通の人用と車椅子用に分かれていたり、至る所に車椅子やベビーカーがたくさん置いてありました。国土も広く、パークも広いというのもありますが、どんな人でも平等に遊ぶことができるというのが良いと感じました。 

 外国でもっと多くの人と普通に会話をしたり、何が書いてあるのかなど分かるようになりたいので、これからもっともっと英語を身につけられるように努力したいと思います。親や先生方、旅行関係の方々など、たくさんの人に感謝しています。本当にありがとうございました。

石川 由佳(2年 打楽器)

 

今回、私がアメリカに行きたいと思った理由は、高校2年生になって進路を決定しなくてはならなくなってきたので、アメリカという広く世界を見渡せる地で自分を見つめ直し、進路や目標を見付けたいと思ったからだ。貯金を出しても足りない旅費だったが、わがままな願いを両親は許してくれた。

 準備はとても忙しかった。「行事、コンクール、テスト、修学旅行、習いごと…。」その中で曲の練習は、本当にわずかな時間で大変だった。家族が旅の仕度を進めてくれていてありがたかったし、申し訳なかった。

 出発が近づくにつれて不安は大きくなっていった。言葉が通じない知らない地に行くこと、何が起こるかわからないことがとても怖かった。時間はあっという間で出発前日はボヤッとしていた。

 いよいよ出発。出発は早朝だというのに家族みんなで私を送ってくれた。仙台駅からバスで成田空港まで、まだ暗い空の中、高速道路の長い道のりだった。バスの中で前日に祖母の作ってくれたおにぎりを食べた。やっぱりお米だなぁとまだ日本にいるのに思った。

 飛行機は大きくて驚いた。前の座席にはテレビが付いていて、映画もニュースも現在位置も見ることができた。日本の音楽も聴くことができて良かった。楽しむものが整ってるし、寝たりしてれば着くだろうと思っていたがすぐに飽きて、珍しく自分から宿題をしようと思った。ドリンクはいつも緑茶を頼んだ。緑茶は本当においしい。アメリカで緑茶は飲めないのかと思うと更に不安になった。飛行機の小さい窓から見た景色はとても綺麗で、日本にはない色の赤とオレンジの混じった太陽の色は絵には描けないような壮大さだった。

 長い長いフライトが終わってダラスに着いた。飛行機から降りようと靴を履いたが、足がかなりむくんでいてきつく感じた。広すぎる空港と大きい外国人に口は開きっぱなしで、一番驚いたのは高い建物がなくてどこまでも空が見えることだった。雲がない晴天で、飛行機の中から見た太陽とは全く違う太陽が高い所から眩しいほど照っていた。

 待ち構えていたのは入国審査で、顔の怖い大きなおばさんが私を睨みつけた。迫力たっぷりのおばさんがなにやら質問しているのだか全然わからない。何も答えられずにいると、おばさんは机の上で指をトントンさせたり舌打ちをしたり…他のメンバーはもう向こうに集まっているというのに。追い詰められた私は半べそになった。最終的には呆れられた顔で投げやりにパスポートにはんこを押してOKと言われた。本当に怖かった。泣くのを我慢するのに必死だった。長時間のフライト、広い空港、英語だらけの空間に疲れてしまって、オーランドの行きの飛行機の中では寝てしまい離陸したのも気が付かなかった。

 オーランドもまた広い空港で迷いそうになったがジェイソンさんが待っていてくれて、いろいろと案内してくれた。ジェイソンさんが準備してくれていたレンタカーはとても大きくて左ハンドルでかっこよかった。ホテルまでその車で移動だったが、車から見る景色は日本と違うものばかりで、低く大きい建物に広く使われた土地、道幅も広くてこれがアメリカの景色なんだと思った。

 ホテルに着いてからみんなで夜食を食べに出掛けた。クリスマスでレストランは混んでいるか休みかのどちらかだった。パンケーキの有名なチェーン店らしいレストランに入ることにしたがやはり混んでいて、隣のお土産屋さんでうろうろした。ディズニーとオレンジのグッズが沢山あって、他にはワニとか動物が有名らしい。日本と比べて値段は安く感じた。珍しいものばっかりだったので時間はすぐに潰れてやっと夜食になった。夜食は頼むのも大変だった。メニューが英語でチキンとかサンドウィッチとか知ってる単語しかわからなかったので困ったが、ジェイソンさんが解説してくれてなんとかわかった。注文も手伝ってくれて助かった。周りはみんな外国人でなんだか見られている気がして少し緊張した。出てきた料理は化け物だと思った。「ジョッキくらいのドリンク、ベロベロにクリームがのったパンケーキ、皿からあふれたフライドポテト…。」思わず写真を撮った。アメリカの人はこんなに毎食食べるのだろうか。皿の上に山ができている。食べる量が多い話しは聞いていたが、実際に目にしてみるとわかっていても驚くものだ。日本人と体の大きさが違うのも納得だった。

 食べ終えた頃には動きたくないほどお腹いっぱいだった。会計に行こうと思ったらジェイソンさんからチップの説明があった。全体の料金の15%〜25%のチップを払うのが礼儀らしい。チップを払うなんてお金持ちになった気分だ。ドキドキしている自分が気取っているように思えた。

 疲れ果ててホテルに帰ってお風呂に入って寝る頃には夜の2時だった。歯磨きをしたら洗面所が濡れてしまったのでティッシュで拭いた。洗面所・トイレ・バスが一緒だったので、何気なく拭いたティッシュをトイレに捨ててレバーをひねった。流れるかと思いきやどんどん水位があがりトイレから水が溢れ出た。慌てて同じ部屋の友達に助けを求めた。友達は驚いてフロントに助けを求めに行ってくれた。水はじわじわ足元まで、そしてベットルームの境目まできたので、阻止するべくタオルを探したが、タオルはトイレの上の壁に掛けてあった。仕方なくありったけのポケットティッシュを投げ込んだが勢いは止まらず、遂にベッドルームのカーペットまで浸みてきた。絶望的だった。話し声が聞こえた。友達とフロントの人が歩いてきた。フロントの人はいたってマイペースで慌てている友達に「Where are you from?」などと質問している。力がぬけた。部屋を変えてもらうことになった。一日目からこのハプニング。寝不足のままホームステイをむかえることになった。

 ホームステイに行くという朝に早速寝坊した。朝食も摂らず頭もぼーっとしたままだった。現地の学校ではホームステイ先の家族が待っていてくれた。笑顔の素敵なホストマザーのレベッカと娘のエリカ。エリカは年下なのに私より背が高く大人っぽかった。私は初対面がどうも苦手なうえに、前日の入国審査のことが頭に残っていて、話すのには勇気が必要だったが、笑顔であいさつをしてもらえたので頑張って話さなきゃという気持ちになった。話しもよく聞くように意識した。

 家族は英語とスペイン語を話していて、スペイン語の音楽をよく聞いていたので英語どころかスペイン語まで教えてもらった。スペイン語は早口で巻き舌まじりの独特な喋り方で、英語も少ししかわからない私にとって当然理解できるわけがなかった。エリカの弟はアレックスという名前でサックスを吹くらしい。たまたま病気にかかってたらしく、咳をしていてあまり話すことができず残念だった。妹のレベッカはなんでもすぐ笑うおもしろい子でダンスが大好きだった。アメリカの家庭は家族の写真が沢山飾ってあって、祖父母から叔父叔母まで説明してもらった。

 ホームステイ1日目は叔父さんの車でエリカとショッピングモールに行った。天井の高い1階建ての建物で、迷路のように沢山の店が並んでいてとても広く、人が沢山いたので周りを見るだけで精一杯だった。

 夜にホストファザーのモーリスが家に帰ってきた。モーリスはレストランのオーナーで帰りが遅かったりと忙しいようだった。しかしモーリスはとてもおもしろい人で、車が大好きだった。手招きされて連れて行かれた所が車庫で、「コブラ」という珍しい車が大切に保管されていた。赤くてピカピカの車は12年前のものだが新品同様で、特別な日にしか走らせないというモーリス自慢の愛車だった。その大切な車に乗せてくれると約束してくれて私は嬉しかった。

 次の日の午前は老人ホームで演奏だった。アメリカに来て初めての演奏。少々ボロもあったが喜んでもらえたようだった。演奏の途中、折り紙で交流したのも好評で良かった。1人とてもノリのいいおばあさんが、演奏中に踊り出しておもしろかったし嬉しかった。

 午後は前日に行ったショッピングモールとスーパーに連れていってもらった。スーパーでは日本食づくりの材料を買った。醤油や照り焼きソースなどが小さなコーナーに売られてたが、英語で書かれた醤油のビンなどは日本で売られているのと違っていて少し変な感じがした。

 夜はファミリーに大型スーパーに連れていってもらった。お土産物から生活に必要なものまで全部揃っていた。そこでは妹にお土産を買った。

 家に着いてから会話の中ですれ違いが起きた。お互いに話しを勘違いして受け止めていたらしい。とても困った。絵を書いたり電子辞書をひいたが、伝えたいことをうまく伝えられずに悲しかった。最終的にはわかってもらえたので良かったが、部屋に戻ってから悔しくて泣いてしまった。話しをすることはとても大切なコミュニケーションだと思う。ドラえもんの道具で翻訳コンニャクというものがあるが、それは本当に便利な道具だなぁと思った。言葉が通じないということは難しいことだった。

 その次の日の朝食はエリカが作ってくれた。エリカは普段朝は11時くらいにしか起きないらしいが私たちのために早起きをしてくれた。嬉しかったし、おいしかった。

 その日はケネディ宇宙センターの見学だった。とてつもなく広く、バスで見学場所を回るようになっていた。そこではアポロ11号が月に行くまでのストーリーやロケットの模型などを見ることができた。月の石にも触ることができた。とても混んでいた。昼食を屋外の芝生の上で食べていたのだが、何かが木に走っていくのが見えた。不思議に思ってよく見てみると野性のリスだった。かわいかった。見学場所を回る際に用水路のようなものが道路沿いに続いていたのだが、たまにワニを見ることができた。野鳥も沢山いた。見学場所のシアターでも、ケネディ宇宙センターは自然に囲まれた美しいところだと説明があった。帰り道、何気なく窓の外を眺めていたら海の上に鳥が沢山飛んでいたのでよく見てみたら、海面から何かの背ビレがいくつか出ていた。シアターの中にイルカの映像があったのでイルカかもしれないと思った。その沢山の自然に驚いた。

 家に帰ってから私たちは日本食をつくった。前日に買った材料と日本から持ってきた材料で、お好み焼きとそばと餅を作る予定だった。少しドキドキしながらの料理だったが問題が起きた。1枚目はお好み焼きが固まらず、ぐちゃぐちゃになってしまった。2枚目はこげて真っ黒になってしまった。粉の量を工夫したらなんとか形になったが出来上がりはホットケーキのようだった。そばは冷たくしたかったが時間がなく、妙な温かさだった。家族を大分待たせてしまったので餅は諦めることにした。食べる際にホームステイが一緒になった友達がお土産に持ってきた箸を使ってもらった。慣れない箸に苦戦してるようだった。妹のレベッカは使えなかったようで、ナイフとフォークで食べ始めた。お好み焼きは好評だった。少々堅かったが、モーリスはおかわりまでして食べてくれた。そして家族は寿司が好きでたまに食べるという話しをしてくれた。特にモーリスは寿司や日本酒が大好きで、初めてわさびを食べたときはツーンとして涙目になったとかおもしろい話しをしてくれた。あとモーリスはお土産で持っていった明治のアーモンドチョコが気にいったらしく、おいしいおいしいとパクパク食べていた。

 その日の夜は最後の夜だったのでエリカがずっと部屋にいた。エリカは手紙をくれた。英語だったから調べないとわからなかったが、だいたいの内容はわかって泣きそうになった。その後エリカはトランペットを吹いて、友達はクラリネット、私はパーカッションで楽器がなかったので体を叩いてリズムをとり、妹のレベッカは歌ってセッションした。楽しかった。エリカは一緒に部屋で寝ると言って夜の2時過ぎまでずっといて、私たちがベットに入った後に冗談だよと言って出て行った。眠たかったがいい夜だった。

 ホームステイ最終日なのに少し寝坊してしまった。エリカがまた早起きをして私たちを起こしてくれた。慌ててコーンフレークを食べて準備をして車に乗った。ホストマザーのレベッカがおもちゃの店に連れていってくれた。欲しい物を買ってくれるという。私はミニカーを買ってもらった。友達はぬいぐるみを買ってもらっていた。レベッカは優しかった。

 家に戻って荷物をまとめた。エリカは部屋に来て荷物をまとめるのを見ていた。学校に集合する時間が近づいてきた。モーリスが約束していたコブラに乗せてくれた。レベッカの車には妹のレベッカと弟のアレックスとジャーマンシェパードの子犬のラッキーが乗って、家族全員で私たちを送ってくれた。夜にさよならパーティーで会えるがやはり寂しかった。

 さよならパーティーの買い出しが終わったあと、ホテルに戻り準備を進めた。ジェイソンさんが色々手配をしてくれていてスムーズだった。音だしをしてから軽く確認全体だったが、みんな疲れがたまっていたのと久しぶりに楽器を吹くのでなかなか調子が出ないままパーティーを迎えた。

 各家庭のホストファミリーが持ち寄ったデザートは、ニモが書いてあるケーキやパイナップルのパウンドケーキなどすごいものばかりだった。しばらくして演奏が始まったが、家族が顔を出して私と友達を見たりしていて少し照れくさかった。演奏の間の休憩時間は家族との写真を沢山撮った。さよならのときが近づいているのが寂しかった。休憩時間はあっという間で演奏に戻った。演奏は楽しくできた。ジェイソンが司会をしてくれてとうとう最後の曲になってしまった。最後の曲はアメージンググレースで、絶対泣かないと思っていたのに涙が出てきた。みんな泣いていた。家族も泣いていた。ホストマザーのレベッカは、素晴らしい音楽だった、2人の娘を持てて幸せに思うと言ってくれた。モーリスは、私たちは家族で家にいつでも戻ってきていいと言ってくれた。嬉しかった、来て良かったと思った。音楽で感謝を表せて良かった。しばらく涙が止まらなかった。エリカとも別れるのがつらかった。

 さよならパーティーの後は残ったケーキで打ち上げだった。私は連日の寝不足から少し早めに部屋に戻って寝る準備をした。慣れない環境でこそ生活のリズムをとることは大切だ。ホームステイのことを振り返りながら休んだ。

 翌日からはウォルトディズニーワールドで一日を過ごすことになっていた。朝早くに集まったので朝食にワッフルハウスに連れていってもらった。ジェイソンさんおすすめのこの店は24時間営業のチェーン店で、安くて大きくておいしく、みんなすぐに気に入った。お店の人もいい人だった。

 朝食のあとはアニマルキングダムというテーマパークに行った。ジェイソンさんの案内でパークの中を回った。サファリパークみたいに動物を近くで見ることができる車に乗った。キリンやゾウがすぐ近くにいてはしゃいでしまった。まるでアフリカにいるような気分だった。ゴリラも見た。ゴリラは思っていたよりも大きくて驚いた。動物を沢山見た後に、途中からだったがライオンキングのショーを見た。ショーの歌や踊りは素晴らしく、音楽も照明も綺麗で感激した。あんな舞台に立つことができたらと羨ましく思った。また見たいと思った。

 午後はMGMスタジオというテーマパークに行った。そこでは自由行動になったので何人かの友達でジェットコースターに乗ることにした。140分待ちだったが根気強く待った。考えてみれば私はジェットコースターに一度も乗ったことがなかったので段々怖くなってきて知らぬ間に無口になっていたらしく笑われた。手にじわじわと汗をかいて足が重たくなった。格好悪いなって思った。悲鳴が聞こえたりするので脈はあがっていった。なんだかんだで順番がきて、ばくばくした心臓のまま乗り込んだ。初めてのジェットコースターをアメリカで乗ることになるなんて、アメリカだからきっと激しいんだろうなぁと思いつつ、気絶しないか不安になった。スタートは突然でお腹の中にふわっとした感じがきた。すごいスピードで回ったり下がったり、そしてそれが楽しいことに気が付いた。いつの間にか一人で大爆笑しながら乗っていたので隣に座った友達の叫び声も笑い声に変わっていた。降りたときは頭が少しくらくらしたが、自分が絶叫系が大丈夫だと知って嬉しかった。

 集合時間になって私たちはファンタズミックというショーを見るために随分前から席取りをした。舞台の真ん中の方のいい席だった。夜食を食べたりして時間を潰した。空も暗くなってきてショーの数分前になったとき、満席になった会場の端からウェーブが起きた。会場の人はみんなノリが良く、だんだんウェーブも盛り上がりも大きくなっていった。日本ではありえないと思った。このノリの良さはアメリカ人のいいところだなぁと思った。ウェーブにまざれて楽しかった。

 ショーは色んな工夫がされていてとても良かった。ファンタズミックは後に演奏する曲なのでその曲の場面の雰囲気など勉強になった。音楽に合わせて花火が上がったり、水と光が組合わさったりして本当に綺麗だった。

 次の日は日本でいう大晦日だった。朝早くに起きてディズニーのガーデンで朝食バイキングだった。他のバンドの人も沢山いた。会場には小さなステージがあって何かショーをやるようだった。朝食をとってからしばらくすると、何やら英語で司会が入り全員起立した。雰囲気に流され私たちも起立すると、テレビの画面にアメリカの国旗が映り音楽が流れた。鳥肌がたった。多分、国歌だと思われる曲の大合唱だった。一人一人の声量がすさまじくとても壮大に歌われていた。日本とは大違いだ。アメリカは大きい国だと思った。そのあと司会の女の人が出てきて何か喋っていた。ところどころしかわからずにいたら各バンドごとの代表者のような人たちが舞台の上に呼ばれている。もしかしたらと思っていたら、やはり先生も呼ばれて舞台上に上がっていった。そこでミッキーの耳の帽子をプレゼントされていた。ミッキーの帽子をかぶった大人が沢山いたのでおかしかった。先生たちが舞台から席に戻ってきた後、舞台にミッキーマウスがでてきた。すぐ近くでミッキーを見ることができてみんな大興奮だった。

 ミッキーを見られてみんなテンションが上がった中、エプコットというテーマパークに行った。エプコットで私たちは日本の新年を迎えた。新年になった瞬間ジャンプをしてお祝いをした。ジェイソンさんがその瞬間を写真に撮ってくれた。

 エプコットには色んな国のものがあるゾーンがあった。その中に日本館があって和太鼓などの演奏が行われていた。日本のお土産がある店が三越だったので驚いた。多くの外国人が日本の物を見に来ていた。和柄を見て美しいと言っていたり、日本酒を眺めていたりと日本に興味がある人が多いようだった。日本のものが沢山置いてあってなんだかほっとする空間だった。

 ディズニー映画に合わせて音楽を録音するという夢のような企画のため、集合時間になって、私たちはディズニーのキャストの人の案内で、ディズニーの裏側に連れていってもらった。撮影、携帯の使用は禁止でドキドキした。ジェイソンさんがそこまで楽器を積んでいる車を持ってきてくれていた。案内された部屋の中は録音スタジオのようになっていた。

 指揮をしてくれる人は地元のハイスクールのバンドの先生でもあり、東京のディズニーでも演奏経験のあるすごい人だった。ジェイソンさんが通訳をしてくれたのでわかりやすかった。与えられた楽譜を初見で演奏したものを録音して聴くということをした。私は自分の音に驚いた。初見だからとはいえ、ひどすぎて演奏するたび落ち込んだ。プロの世界は初見で録音は当たり前だという。映画音楽のほとんどは初見で録音されたものだと聞いて驚いた。初見がいかに大切か思い知った。わかりやすい指導のなか、音楽のつくり方について沢山学んだ。大切な知識になった。音楽は奥深いと改めて感じた。貴重な経験になった。録音に携わってくれた人に本当に感謝したい。

 夜はお米が恋しかったので日本館のお寿司を買って食べた。アメリカ人の好みの味に合わせているのか、日本と味と違った味がした。エプコットの花火を見た。ホテルに戻るとテレビでは新年へのカウントダウンを待つ番組がいくつかやっていた。ニューヨークの中継では多くの人がカウントダウンのために集まっていた。新年を迎えた瞬間はあちこちで花火の音が聞こえてテレビの中はすごい盛り上がり様だった。さすがアメリカだ。長い1日に感じられた。

 新年初日はアメリカでの最後の演奏だった。午前、午後と2回の演奏に朝から忙しかった。マジックキングダムの裏側はパレードの乗り物だとか色んな物が置いてあってすごかった。他のバンドも何百という人数でスタンバイしていて、私たちが本当に少人数に思えた。トンネルのような通路を歩いていき、エレベーター式のステージに上がる。これが上にいくとお客さんがいるんだなぁと思うと緊張したが、盛り上げるべくみんなに声をかけるようにした。みんなも大分緊張していた。

 エレベーター式のステージが上がって見えた光景はレストランの中で多くの人がガヤガヤしていた。ジェイソンさんが写真を撮ってくれているのが見えた。聴いてくれている人といない人とがいたが、私は幸せだと思った。楽しく演奏できた。この光景を目に焼き付けようと思ったら、先生がミッキーの帽子をかぶっているのが目に入って少しおかしかった。そして最後の演奏は終わった。その日の締めくくりはシンデレラ城の花火だった。綺麗だった。

 次の日は1日中マジックキングダムで自由行動だった。集合時間がきて、マジックキングダムの前でみんなで写真を撮った。多分、初めてジェイソンさんが入った写真を撮った。駐車場までは船で行った。夕日が綺麗だった。小さくなっていくシンデレラ城に、いつかまたアメリカに来れるかどうかを考えて切なくなった。船の上では一人づつジェイソンさんと写真を撮った。

 次の日は飛行機時間が早いため荷物づくりが大変だった。借りていたドラムセットもホテルまで取りに来てもらって返した。ありがたさを感じた。私と同じ部屋の友達はこの研修のリーダーで仕事が沢山あったし、みんなの入らなかった荷物を箱詰めにするので夜食も食べるのが遅かったし、寝るのも遅かった。私もなるべく手伝うようにしたが、結局、睡眠時間は2時間くらいしかなかった。

 その夜は汗をかくほど暑かった。3時前に起きて準備をした。ホテルともお別れだ。そしてジェイソンさんともアメリカともお別れの日だった。ジェイソンさんの運転するレンタカーは空港に着いて、慌ただしく荷物を預けて、もうここからはジェイソンさんも入れないというところまで来てしまった。みんな泣いた。さよならは悲しかった。ジェイソンさんと仙台でおいしい物を食べる約束をした。行かなくてはならなかったが、私は何度も後ろを振り返った。ジェイソンさんは私たちが見えなくなるまで見送ってくれていた。

 この研修にジェイソンさんなしでは一体なにが出来ただろう。ジェイソンさんには本当に細かいところまで気を配ってもらって、私たちがどのくらい助けてもらったことだろう。日本語も英語もぺらぺらで心強かったし、一緒にいて面白くて何回も笑ったし、本当にお世話になった。もっと最初からたくさん話しておけば良かった、もっと一緒にいたかったと思った。本当に感謝している。また会える日を待つことにした。

 飛行機の中は長かった。日本に帰ると思うと不思議な感じがした。アメリカにいたことは夢のような時間だった。いろいろな人と会っていろいろなことをした。そこから出会いは大切にしなくてはいけないと思った。一期一会とはこういうことなんだとわかった。出会いは感謝だなぁと思った。

 大変なこともたくさんあったが、楽しいこともたくさんあった。私は幸せだって何度も思った。アメリカ行きを応援してくれた親戚、友達、先生方と、計画をたててくれた熊谷さん、ISAさん、現地でもとてもお世話になったジェイソンさん、ホストファミリー、ディズニーの方、この研修に携わってくれた人は数え切れないくらいいて、私は本当に感謝しなければならない。そしてこのメンバーで行ってこれて良かった。なにより感謝しているのはアメリカ行きを許してくれた両親だ。本当に本当にありがとうございました。私は一生忘れない。この経験は私の宝物で、更に磨きをかけてこれからに活かしていきたい。本当にありがとうございました!

石黒 絵美(2年 テューバ)

 

私のアメリカで過ごした11日間は,言葉で表しきれない程,楽しい思い出も,感動した出来事も,たくさんつまった充実した日々となりました。

 私がこのアメリカ研修に参加しようと決意したのは,母の「もっと広い世界を見て欲しい」の一言がきっかけでした。アメリカ研修の話が出た時からずっと「行きたい」「アメリカで演奏したい」と思っていました。しかし,これからのことをいろいろと考えていくうちに,やめた方がいいと半分諦めていました。最終応募の日にちが迫ってきたので,このことを母に伝えた時に,この言葉を母に言われました。それを聞いた時,これからの自分のためにアメリカに行こうと決心しました。

 しかし,アメリカに行くということは,私にとっても,家族にとっても,周りにとってもとても大きなことです。さまざまな手続き,パスポート,曲決め,オリエンテーション等,夏のコンクール時期や演奏会前の忙しい合間を縫いながら進めていくのは,簡単なことではありませんでした。特に一番大事な練習時間を確保するのが大変でした。アメリカ研修は部活外の行事のため,活動時間外に集まり練習しなければなりません。しかし役職や係の仕事,パートの集まり等,なかなか全員で集まることができず,予定通りに練習は進みません。そのため,ディズニーのオーディションのためのレコーディングでは,録音する前に曲が仕上がっておらず,この時に私たちは「自分たちがアメリカに観光しに行くのではなく,演奏をしに行く」という意識が低いのを思い知らされました。まったくなかったという訳ではありませんが,今まで経験したことがないということもあり,考えが甘かったのだと思いました。

 それでも私たちは他の部員や,家族,先生方からの応援を励みにし,出発までの準備を進めました。この11日間での出来事は全てがさまざまな意味で素晴らしかったと思います。

 その中でも,ホームステイは思い出がたくさんつまっています。私は初めての海外でホームステイをするのは夢のようなことでしたが,英語が話せない,聞きとれない私は不安でいっぱいでした。しかし,私は出迎えにきてくださったお母さんのパットの笑顔を見て「頑張れそう」と思いました。私のホストファミリーは五人家族でした。三人兄弟の一番上の映画好きのジェシカ。私と同い年で,ノリが良く,優しいジョーハイ。一番下で,十二歳でロックが大好きで,四日間ずっと一緒に笑ってくれたジェイ。大きな体と声でその場を盛り上げてくれ,ジュウド家の大黒柱のジョウ。そしてパット。この五人は,英語が分からない私たちに手や辞書を使ったり,絵を書いたりと,何とかして伝えようとしてくれました。そのことがとても嬉しくて,私たちも片言の英語でしたが,どうにかして考えていることを伝えようと努力しました。

 ホストファミリーは,映画「GEISHA」を見せてくれたり,スーパーマーケット,レストラン等に連れて行ってくれました。ホームステイ先では,日本食を作ることになっていたので,あらかじめ日本から持っていける材料を買って行き,残りは家の近くのマーケットで買い,12月28日の夜に,カレーとそばを作りました。作っている時から,末っ子のジェイと,その友達が興味深々で,何回ものぞいてその度に,「GOOD」と言って,楽しみにしてくれました。そばには,箸を使って食べてもらいたかったので,家族分5膳買っていきました。箸を出した時に,とても喜んでくれ,上手に箸を使ってそばを嬉しそうに食べてくれ,作った私たちが嬉しくなってしまいました。その後には,プールサイドに出て焼きマシュマロで盛り上がり,簡単な日本語を教えたり,ジェンガをして遊んだりと,たくさん笑い,ホームステイをした4日間の中で一番楽しくて,心に残った一日でした。

 ホストファミリーに感謝の気持ちを伝える“さよならコンサート”では,4日間お世話になったホストファミリーの前ということもあり,始まる前から涙が出そうになっていました。コンサートは,ホストファミリーが作ってきてくれたデザートをみんなで頂きながら始まりました。演奏している時は笑顔でいようと意識していましたが,心の中では「ホストファミリーともっと一緒にいたい」と,少ししんみりしていました。もしかしたら,みんなもそんな気持ちだったのではないかなぁと思います。そして,とうとう最後の曲「アメージンググレース」になった時に,今までこらえていたものが涙となり溢れ出てしまいました。それは,歌から楽器になった時も変わらず,演奏が終わった後も,みんなで写真を撮っている時も,コンサートに来てくれたジョーと,パットの姿が見えなくなるまで止まりませんでした。その時,私はジュウド一家の一員となった4日間を振り返っていました。はじめは時差や飛行機の関係で体調が優れず,その上に緊張が重なったので,なんとなく憂鬱で,正直行って早く時間が過ぎて欲しいと思っていました。

 しかし,ホストファミリーのみなさんと会話が出来た時の喜びや楽しさを感じる回数が多くなればなるほど,その不安は消えて行き,自分が少しずつですが,英語が分かるようになっているのに喜びを感じていました。今回,ホームステイをして学んだことは,言語(英語の大切さや,アメリカの文化)だけではありません。言葉が通じなくても伝わるものがあるということ,自分の気持ち,考えを理解してもらうためには努力が必要ということ,そして何より人の優しさ,温かさはどこに行っても変わらずにあって,それがなければ今回のアメリカ研修は成功しなかったと思います。

 この他にもケネディー宇宙センターの見学や,ショッピングモール,そして,2回に渡るディズニーワールドでの演奏。サウンドトラックセッション。自由行動等のたくさん思い出を持って日本に戻ってくることができました。

 そして,今回の研修をサポートしてくださったジェイソンさん。車の運転から,カメラマンまで,さまざまなことをして下さいました。私たちを楽しませてくれました。言葉の通じない,文化も違う,あのアメリカでジェイソンさんがずっと一緒にいて下さったことは,私たちにとってとても心強かったです。本当にありがとうございました。

 これからは,普段と変わりのない毎日が始まります。しかし,まったく同じというわけではありません。今回アメリカで思ったこと,感じたこと,見たこと,聞いたこと,つまり,前より広い世界を持っている自分がいます。この11日間を思い出で終わらせるのはとてももったいないことだと思います。残りの高校生活,そしてこれからの人生に生かしていきます。

 今回のアメリカ研修を,ご支援・ご協力してくださった多くの方々に,心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

 そして,今回一緒に参加した,11人の仲間と,保科先生にも感謝しています。素敵なアメリカ研修にしてくれて,ありがとうございました。最高の思い出となりました。

齋藤 あゆみ(2年 フリューゲルホルン)

 

 私のアメリカ行きが決まるまでにはかなりの時間がかかりました。一番最初にアメリカの話があったときには、行きたいという気持ちはありましたが、経済面などの親の負担などを考えるとなかなか親にも行きたいということを言えませんでした。しかしそんな時に両親が、「あなたの気持ちはどうなの?」と聞いてきて、正直な気持ちを話すと、「お金のことはどうにかするから、何か目的があって自分が行きたいと思うなら絶対に行った方がいい」と言ってくれました。 私は何よりも、『自分を変えたい』と思っていました。先生にも先輩にも、音が消極的だと言われていたし、発言や行動面においても何事も消極的でした。そんな自分を変えたくて、アメリカに行けば自分の中の何かが変わると思い、その気になりました。

 しかし、この時にはもうすでに他の10人のアメリカ行きは決まっており、曲の練習にも入っていたし、全員パスポートも取り終えていました。親も薦めてくれたし自分の決意も固まっていたけれど、もうこんな遅い時期では絶対に間に合わないと思っていました。ダメ元でも行きたいという気持ちを先生に伝えようと思いました。先生に話したところ、今でもまだ間にあうかもしれないと言われました。いろいろと連絡をとっていただいた結果、私のアメリカ行きが決まりました。

 アメリカまで飛行機で13時間かけて行きました。

 ホームステイでは、たくさんの文化の違いを感じました。寝る前に「シャワーを浴びたい」と言ったら、「なぜ?」と言われました。「日本では夜におふろに入っていました」と言うと、その時は10時30分頃だったのですが、「もうこんな遅くなのよ」と怒られてしまいました。もう一つはアメリカは16歳で車の免許が取れるということです。毎日の車の送り迎えは、私と同い年で17歳の男の子にしてもらいました。ホストファミリーには、ユニバーサルスタジオやショッピングなど、たくさんの場所に連れていってもらいました。

 ホストファミリーとの別れは、さよならコンサートの時でした。ホームステイ中は、本当の家族の一員のように優しく受け入れてくれたので、別れは本当に辛かったです。素晴らしい家族に恵まれて私はとても幸せだなと思いました。これからも手紙を書き続けて、また機会があればアメリカのホストファミリーに会いに行きたいと思っています。

 一番の思い出はやはりディズニーワールドでの演奏です。11人という少ない人数ではありましたが、全員の心が一つになった時に本当に良いサウンドが生まれました。あの時の演奏はずっと忘れることはないでしょう。吹奏楽をやっていて本当に良かったと思えた瞬間でした。

 こうしてアメリカでの11日間は長いようであっという間に過ぎました。今回の研修はたくさんの方々の協力あってのことだと思います。いつも私たちに気遣ってくださったり通訳やすべてのことをしてくださったジェイソンさんや先生、ISAさん、今回のアメリカ研修を薦めてくれた両親には本当に感謝の気持ちで一杯です。そして、これらの体験一つ一つが一生忘れることのない思い出です。アメリカに行ったことで学んだことは数多くあります。言葉は伝わらなくても、伝えたい気持ちがあれば必ず伝わるのです。

 もう一つは笑顔の大切さです。現地の人たちの笑顔には何度も救われました。私もこれからは笑顔を絶やさずに生きていきたいです。

千葉 優美子(2年 クラリネット)

『自分たちの音楽をアメリカでやりたい』この思いから決めたアメリカ行きは、自分自身を成長させる大きなものとなりました。

 アメリカで学んだことは沢山ありました。まず音楽面では「自分から表現し魅せる音楽をする」という大切さを大いに実感しました。自分から主張し、音楽を楽しむということは当たり前のことですが、実はこのようなことを人から言われてする音楽自体がおかしいように思えました。音楽とは自然に自分が楽しんでやっているもので、自分と音楽が一体化したときこそ、本物の音楽だと気付きました。

 まず、アメリカの老人ホームで演奏した時、自分は音楽が皆柔らかいなと感じました。なぜなら、音に驚かないようにと自然に優しい音楽となったのです。そして、その中で自分たちは「こんな音楽を聞いて少しでも元気になってほしい」という思いを音楽にしました。 アメリカの方たちは、日本人よりも感じたことを表面にすぐに出します。私たちは、そんな方々の表情、拍手、ノリノリで聞いてくださるのを間近に、自然に気持ちが盛り上がりました。

 ただ、やはり未だ自分たちの演奏は欠点が多く、特に表現力ができていません。確かに一人ひとりでは何かを表現しようとしていますが、全体の中でだとできていない、それが今回かなりはっきりとわかった課題でした。その原因は、全体だと安全、安定など、綺麗な音楽をしようとし、変な意味でまとまってしまっていると思います。これからは、冒険も必要だと思います。曲調に合わせ、気持ちを込めて自分の思った通りにおもいっきり演奏することも重要だと思います。アメリカでの曲を練習している時も、ノリをだすことになぜか苦戦しました。しかし、これを機に気づくことができたので、今後しっかりやっていきたいと思います。 

 そしてもうひとつ、アメリカで、出会いと別れを経験しました。 ホームスティを4日間体験したこと、これは出会いとして本当に良いものとなりました。最初は何かと不安でいた自分たちでしたが日を重ねるごとに、とてもつながりが深くなり、本当の家族のようになれました。会話をするのにも、片手に電子辞書。しかし、そんなこんなで会話していくうちに、いつの間にか要らなくなっていました。自分で聞こうとすればちゃんと理解できました。要は気持ちの問題だったのかもしれません。家族とは毎日食事を全員でしたり、一緒にゲームをして遊んだりと本当に良い思いをしました。

 1番の心に残っていることは1番上の女の子キャリーと一緒にクラリネットを吹いたことです。一緒に笑い合いながら演奏し家族に聞かせ、とてもその時の温かい思いがとても印象深いです。今回は、ホームスティ中も何かと演奏をしにいかなければならず、短い時間しか一緒に過ごせなかったのですが、やはり時間の長さは関係ありませんでした。お別れの時は本当に感謝の気持ちでいっぱいで、別れが凄く辛かったです。最後に、「アメリカに来たら、自分たちのところが家だからいつでも帰っておいで」と言われて感激しました。本当にホームスティの家族にはお世話になりました。 

 そしてジェイソンさんには、最初から最後までずっとお世話になりました。アメリカで何かと不安だったりわからないことがあったときに助けて頂きました。ジェイソンさんは、私たちのやりたいことを全部現実のものにして下さいました。空港で別れるときも皆涙しました。 

 アメリカ研修は、本当にいろいろな人の支えがあったからこそ成功し、良い経験ができたと思います。もう二度とないこの経験をしっかり心に留めて、今後の活動にいかに取り入れて行くかが今からの見せ場です。この貴重な一生ものの体験を、自分にしっかり役立てていきたいと思います。

大久保 雪乃(1年 クラリネット)

 私がアメリカ研修に参加した動機は、外国の人達と音楽を通して友達になりたいという夢からでした。入部して間もない頃、沙織さんやちづるさんが見せて下さった数年前のアメリカ研修のビデオを見て『私も行きたい』と思いました。最初の話し合いには多くの部員が参加していましたが、金銭面の事を考えて、話し合いに参加する部員が段々と減少していきました。その光景を見て私も行くかどうか迷いましたが、外国の人と友達になりたいという夢があったのでアメリカに行く事を決意しました。最終的に参加する人数は11人と少人数でしたが、アメリカ行きは決定しました。

 アメリカ出発までの練習は、部活終了後に行いました。毎日帰りが遅くなり、練習中何度も先生に指摘され、精神面も体力面も疲労し、途中アメリカ研修に参加したくなくなった日もありました。しかし出発が近づいた日のミーティングで部員全員が歌を歌って下さり、私はとても感動し、仙台高校の代表として頑張ろうと思いました。そして出発の日、朝早くに仙台駅に集合しバスで成田空港まで移動し、オーランドに向けて出発しました。オーランド空港に到着するとジェイソンさんが待っていました。ジェイソンさんは2ヶ国語が話せる方なのでアメリカの事がほとんど分からない私達にとってとても心強い方でした。ジェイソンさんの運転でレンタカーに乗ってホテルに着くと、私は疲れていたのですぐ寝てしまいました。 

 次の日からはホームステイが始まりました。近くの高校を集合場所にし、どんなホストファミリーが来るのか楽しみに待っていました。すると1年生のところにジーナさんという方がいらっしゃいました。ジーナさんは優しい方で、車で家に移動中私達に色々と話して下さいました。私は話してみようと思い、ぎこちない英語で質問してみました。するとジーナさんは優しく答えて下さいました。その時私は話しかけて良かったなと思いました。家に到着すると家からステファニーとサバンナが出てきました。二人とは最初、少し距離がありました。しかし紙風船で夜遅くまで遊ぶと、すぐに仲良くなりました。ホストファミリーは私達に本当に優しくしてくださいました。

 さよならコンサートでは、みなさん楽しそうに聞いて下さり、演奏が終わると1年生は全員泣いてしまいました。その日はずっと寂しい気持ちでいっぱいでした。

 ホームステイが終わり、いよいよディズニーランドの活動が始まりました。最初の活動はサウンドトラックセッションというディズニー映画に合わせて私達の演奏を録音するという事を行いました。指導をしていただいたアメリカの高校の先生は面白い方で私は楽しく録音出来ました。私達の演奏を映像と合わせて拝見させていただくと、自分はまだまだという事を実感しました。自分は吹いているつもりでも実際はほとんど聞こえていないという事が分かりました。なのでこれからははっきりと大きく吹けるようにしたいと思います。その次の日はついにディズニーワールドでの演奏となりました。午前の演奏ではお客様も少なく、私達もあまり盛り上がらず納得のしない演奏で終わってしまいました。しかし午後の演奏は最後ということで全員楽しく演奏でき、とても良い演奏になりました。その日の夜は見に来て下さったホストファミリーとオールドタウンという遊園地で遊びました。アトラクションに乗ったり、買い物をしたりとても楽しかったです。

 最終日のオーランド空港でジェイソンさんとはお別れになりました。ジェイソンさんにはとてもお世話になったので全員涙の別れとなりました。ジェイソンさんには本当に感謝しています。このアメリカ研修で感じた事は、アメリカの人達は友好的だという事です。日本だと他人との挨拶はほとんどありませんが、アメリカは知らない人とも会話が成立する国でした。そこがアメリカの良いところだと思います。私はアメリカ研修という貴重な体験ができて本当に良かったです。

小松 恵子(1年 フルート)

 

 

 アメリカ研修旅行――。はじめ、アメリカ研修旅行のお話を2年生からお聞きしたとき、まさか自分が参加することになるとは思っていなかった。しかし、いざ母に言うと「行ったら?」と言われ、「自分自身、アメリカで演奏することができ、そして音楽を通してアメリカの人々と交流することができるのはこの機会しかない!」と思い、参加することにした。

 出発するまでには、数々の他の本番がありながらも何度も話し合いをし、ディズニーワールドで演奏するために、昼休み、放課後にも必死に練習を行い、徐々に出発の準備も始め、ついにアメリカ行きの日がやってきた。

 楽しみでもあり、不安でもあったが、親や家族に見送られ、仙台駅を出発した。バスで成田空港まで行き、いろいろな手続きを済ませて飛行機に乗った。飛行機に乗り、とうとうアメリカに行くんだなぁと改めて実感した。

 約11時間後、1度ダラスに到着し、次にオーランド行きの飛行機に乗り継いだ。現地に向かうにつれ、外国人の数が増えていくのに少し緊張した。約2時間後、とうとうオーランドに到着し、この旅でお世話になるジェイソンさんと対面した。ホテルまではワゴンと日本では見られない大きなタクシーで移動した。その日は明日に備え、すぐに寝た。

 ホームステイ初日、ドキドキの家族との対面だった。私たちは1年生3人でお世話になった。集合場所にはホームステイ先のお母さん、ジーナさんが迎えにきてくださった。車に乗り家へと向かい、いよいよお父さんと子供たちに対面した。子供たちは、とても年下とは思えないほど大人びている14歳のステファニーと、とてもやんちゃで可愛いらしい7歳のサバンナ、ホームステイ中は一緒に過ごせなかったが12歳のエリザベスと11歳のブライアン。ペットは愛犬プリンセスと大きなイグアナ、うさぎと亀やきれいな魚たちだった。特にプリンセスは人慣れをしていて、すぐになついてくれ、本当に可愛いかった。家族との対面後、ジーナさんが近くのアウトレットモールに連れて行ってくださり、ステファニーと私たち3人で買い物へ行った。対面したばかりだったせいもあり、なかなか話すことができず、少し不安だったが、まずは簡単なことから話しかけるよう努力した。そんな状況でありながらもショッピングを終え、自宅へと帰った。

 家に着き、一休みをした後、日本から持ってきたお土産を家族にプレゼントした。いろいろなものをプレゼントした中でも特に人気だったのは折り紙と紙風船だった。特にサバンナは折り紙に興味を持ち、本を見て作りたいものを選び、私たちはかたことの英語で作り方を教え、一緒にいろいろな物を作って遊んだ。紙風船はバレーボールと名付け、みんなで楽しく、徹夜で遊んだ。この日は家族とたくさん触れ合うことができ、とても嬉しく、そして本当に楽しかった!

 次の日は老人ホームでミニコンサートを行った。しばらく楽器を吹いていなかったせいもあり、どうなることかと心配だったが、ホームの方々も喜んでくださり、本当にここで演奏することができて良かったと思う。

 曲の合間の触れ合いタイムではホームの方々と折り紙をし、最初はずっと、私が作るのを静かに見ていたおばあさんだったが、最後には私が作った“金魚”を見て、自ら「ほしい、私にちょうだい!」と言ってくださり、本当に嬉しかった。

 その他にもホームのおじいさんに指揮を振っていただくなどの場面もあり、今回この老人ホームで演奏できたことは、心が癒され、素直な気持ちになることもでき、そしてお年よりの方々と交流できる貴重な体験になった。

 夜はホームステイの家族にレストランへ連れて行っていただき、照り焼きチキンとサラダをごちそうになった。アメリカならではで、味が濃くとても美味しかった。

 ホームステイ3日目、この日は『ケネディー宇宙センター』へ行った。ここでは世界初に打ち上げられたロケットを見たり、月の石に触れたりと、他では経験できないことを満喫することができた。夜はホームステイ先で日本食の“そば”をつくった。ジーナさんとステファニーは美味しそうに食べてくださった。

 次の日の午前中はウォルマート(日本でいうジャスコ)というところに行った。そこはとにかく広く、いろいろな物が売っているスーパーだった。

 そして夜はいよいよホストファミリーとの『さよならパーティー』が行われた。家族ごとにデザートを持ち寄るパーティーだったのだが、中でもジーナさんが持ってきてくださった“ニモ”のケーキは特に可愛いく印象的だった。演奏面の方では決して完璧な演奏ではなかったが、ホストファミリーへの感謝の気持は忘れずに演奏することができた。

 別れが来るのはとても早い。しばらく会えなくなるかと思うと本当に寂しく、涙が止まらなかった。ホストファミリーに別れを告げ、ホテルの部屋で反省会をし、その日はすぐに休んだ。

 次の日の朝は『ワッフルハウス』というお店でワッフルを食べ、そして『ディズニーワールド』内の“アニマルキングダム”“MGMスタジオ”というところに行き、いくつかのアトラクションを満喫した。

 次の日の午前中は、ディズニーで朝食バイキング食べ、間近でミッキーを見ることができた。

 午後は“サウンドトラックセッション”を行った。初見の苦手な私にうまく吹けるかとても心配だったが、教えてくださったバンドディレクタの先生に分かりやすい指導をしていただいた。無事にレコーディングを終え、見事ディズニー映画とセッションすることができた。本当に勉強になった。夜はものすごいスケールの花火を見学し、とても感動した。

 ディズニーワールド3日目、この日は待ちに待ったディズニー内での特別演奏だった。

2回行ったうちの1回目は初めてということもあり、慣れない演奏だったが、2回目の演奏はとても気持ち良く、伸び伸びと吹くことができ、とても楽しく、アメリカに来て良かったと改めて実感することができた。この日の夕方はなんとホストファミリーの家族がお誘いをしてくださり、『オールドタウン』という遊園地に連れていっていただいた。再び家族と会えるのが楽しみでしかたがなかった。今回はもう1人の兄弟、ブライアンも一緒だった。遊園地ではジェットコースターやゲーム、ショッピングをしたりととても有意義な時間を過ごした。帰りはホテルまで送っていただき、プレゼントもいただいた。本当にこの家族には感謝の気持ちでいっぱいだ。必ず手紙を書く、いつかまた会おうと約束した。

 アメリカ最終日、この日は1日中ディズニーワールド内での自由行動だった。私たちは1年生3人で行動を共にし、絶叫系から癒し系まで計7つのアトラクションに乗った。もちろん買い物もし、とても楽しい時を過ごした。

 日本に帰国する日、とうとうアメリカを出発するときが来た。日本へ帰れる嬉しさもあったが、アメリカに別れを告げる寂しさもあった。空港でずっと旅行中お世話になってきたジェイソンさんに別れを告げ、飛行機に乗った。ジェイソンさんには何から何までお世話になり、本当に感謝している。

 この研修旅行で私はたくさんのことを学んだ。日本とアメリカの文化の違い、スケールの違い、外国人のフレンドリーさ、家族の大切さなどこの他にもたくさんあるが、この旅で一生に一度しかすることのできない経験をたくさんし、参加して本当に良かったと思っている。この企画を進めてくださった方々、支えてくださった方々、そして参加させてくれた両親には心から感謝している。

下田 真美(1年 アルトサックス)

『今回のアメリカ国際吹奏楽交流研修で何が一番よかったのか』と聞かれたら『全て!』としか私は言うことができません。新しい家族との出会い、ディズニーワールドや老人ホームでの演奏、お金の使い方がよく分からなくて買い物に手間取ってしまったこと…1つ1つが自分にとって大切な経験であり、最高の思い出となりました。

 自分がこの企画に参加しようと思ったのは、『自分たちの奏でる音楽をたくさんの人に聞いてほしい』という思いを昔から持っていたことです。そして、この企画は日本人ばかりでなく海外の人にも自分たちの演奏を聴いてもらえるということもあり、自分の思いに当てはまっていると感じ、参加を決意しました。

 出発までの準備の中では、パートや全体、両親や友達に沢山の迷惑をかけてしまい本当に申し訳なく思うことが多く、また1年生が3人しか参加しないということや英語が伝わるのかという少しの不安を抱きながらの出発となりました。

 アメリカ到着すると、空港の人が明るく話しかけてくれたり、英語で会話することの楽しさが話す度に増していき、自分から知らない人に『Hi!』と言うなど、日本では余りできない交流をすることができました。

 いよいよホームステイ1日目、私たちのファミリーはHeltemagファミリーという6人の大家族でした。しかし今回のホームステイでは、私たちのためにお父さんと子供2人は別の場所へ行ってしまい、お母さんと同い年のステファニーと7才のサバンナの3人と一緒に過ごしました。まず私たちは始めにステファニーと4人で近くの店へ買い物に行ったのですが、みんな緊張してしまい、買い物を心から楽しむことはできませんでした。帰宅後、なんとジーナさんから出されたものは、煎餅と餅で3人で大喜びで食べました!まさか、アメリカ人から日本食を頂くなんて…という驚きが大きかったです。

 その日の夜は、お土産を渡し、一番気に入ってもらったものが紙風船だったようで毎晩夜遅くまで遊び続け、紙風船の楽しさを知りました。

 別れのさよならパーティーでは、家族が大好きな「ニモ」のケーキをつくってきて下さって凄く感動しました。演奏では感謝の気持ちをたくさん込めて、楽しみながら演奏できました。言葉はうまく伝わらなくても音楽は伝わるのだと心から実感できました。最後の曲のアメージンググレイスを吹いているとき、私はホームステイでの楽しかった思い出をたくさん思い出してしまい、涙なみだでお別れをしました。この家族と一緒に過ごせて本当によかったです。

 ディズニーでの4日間はとても早く感じました。演奏ではとても緊張をしてしまい、ミスをしてしまいましたが、今までの練習の成果を出しきることができてよかったです。お客様のノリも日本よりもよくのってくださったので、吹いていてもとても楽しかったです。

 帰国する際は「もっともっともっといたい!」という気持ちがとても大きく、充実したアメリカでの生活が出来ました。大人になったらまた行きたいですし、今回の体験を通して日本では体験できないことをたくさん体験できました。この企画を参加してくださった方、両親、先生、先輩、友達…お世話になったみなさんにとても感謝しています。本当に参加してよかったです。ありがとうございました。この経験を活かしこれからも頑張っていきます。

石黒 絵美さんのお母さん

 瞳の輝きを見て、今回の研修が良い経験になったのか、一目でわかりました。今回の経験が、どんな華を咲かせるのかが楽しみです。

島貫 沙織さんのお母さん

 今回アメリカ研修が実現出来たことは、親としても大変嬉しくありがたく思います。このようなチャンスはいい経験になるという思いと娘の強い希望もあり、多少不安はありましたが、無事充実感いっぱいで帰って来た娘を見て、参加させて本当に良かったと思います。ホームステイ先にも恵まれ、異文化にもふれ、何よりディズニーランドで演奏できたことが忘れられない思い出になったと思います。今回の経験で学んだいろいろなことを自分の将来を考えるヒントにしてくれればいいかなあと思います。引率してくださった保科先生、ジェイソンさん、熊谷さん、ISAの皆さん本当に感謝いたします。ありがとうございました。そして忙しい行事の合間で練習をしてアメリカ研修を成功させた11人の皆さん、おめでとう、仙台高校 万歳。