引率者の声

仙台高校グリーンバンドに参加して

仙台高校吹奏楽部顧問 保科 雅己

 参加生徒33名、引率教員2名の総勢35名は12月下旬~1月初旬の12日間の日程で、滞在中の主な演奏会は3回。ディズニーランドでの単独演奏、ホームステイエリア内の幼稚園でのアンサンブル演奏、同スタディセンターでのグリーンコンサートでした。期間中、ロサンゼルスから車で約3時間ほど北にある人口7千人ほどの小さな町、カリフォルニアシティの各家庭にお世話になりました。
この遠征は、まるで「オズの魔法使い」の実写版を見ているような感じでした。日本にいるときは、身近な家族や友達の存在のありがたさに気づかず、自分本位に過ごしていることが多いのですが、異国の地アメリカで、ホストファミリーの家族愛に見守られながら暮らしていくうちに、自分に秘められた意識や能力が開花しました。帰国後に改めて自分の置かれている環境のありがたさを再発見し、より大人に近づいた自分に気づきました。当然、日常の言動も変われば、音楽に対する意識も変わりました。
この遠征に参加した生徒は1~2年後に高校を卒業したわけですが、充実した高校生活を送り、進路目標達成も例年以上の成果を上げました。音楽関係の進路を志した生徒の割合も高く、一般大学に進学した生徒でも新しい音楽活動の場で中心的な役割を果たしていたようです。
日本国内では、これだけまとまった人数の生徒を長期間ホームステイでお世話するということは容易ではないと思います。また、私たちの演奏をこれほどストレートに熱烈に受け止めてくれたのは、アメリカならではのことでしょう。
私たちを育んでくれたアメリカの懐の広さに心から感謝します。

宮城グリーンバンドに参加して

宮城県吹奏楽連盟会長 三塚 尚可

 平成11年3月から4月はじめにかけて約10日間、宮城県吹奏楽連盟創立40周年を記念し、中学生・高校生51人と引率教師7名の総勢58名のメンバーで参加しました。メンバーを募集した当初は、果たしてどのような楽器構成になるのか心配でしたが、結果は理想に近い組み合わせが出来ました。事前の打ち合わせ・練習会も4~5回程度で出発することになりました。
カリフォルニアシティでホームステイという形で1人~2人でお世話になりました。1日目は、1人になった生徒は不安で涙顔でしたが、2日目には慣れてきたのか笑顔が見られました。そして、帰国近くになるとすっかり溶け込み「帰りたくない」という始末でした。特に中学校での演奏会では、中学校長兼市長さんをはじめ体育館いっぱいに市民が集まり、大変盛り上がった演奏会となりました。また、ディズニーランドでの演奏会も好評で、「本当に選抜チームですか」と訊ねられる程でした。
あれから6年が経過し、多くは大学生や実社会で働いている人など様々ですが、時々あって当時の思い出話をしています。いつも出てくる言葉は「また行きたい」です。

当時宮城県仙台向山高等学校吹奏楽部顧問
現在宮城県教育研修センター指導主事 水口 俊彦

 1999年にグリーンバンドに参加して、生徒達は、のびのびと型にはまらず、やりたいようにやればいいということを学んだようです。私自身も、アメリカでの10日間は、アメリカという国の気質のせいか、自分を抑えなくて開放でき、とても楽しくてインパクトがありました。その後、今度はシカゴに一人で行ったのですが、教師という立場でなく、何もない状態でアメリカの風土を吸収することが出来ました。そこで、基本的に音の聞こえ方が日本と違う、基本的な音の伝達が違うから言葉も違ってくるということが分かりました。
それから、自分の中で大きく音楽が変わったように思います。音楽の求め方、生徒達に提唱の仕方などが変わったと同時に、カリフォルニアをきっかけに私自身も、例えばコミュニケーションの中で表現力などがずいぶん変わったと生徒達にいわれました。
生徒達の中でも音楽に対する思いが変わったという声がありました。音が変わったと言うより土台が変わったということだと思います。
「グリーンバンドに参加した女の子が、それを機会に吹奏楽をやめようと思っていたのに、反対に帰国後は積極的にリーダー的存在として吹奏楽を続けた」「中学校2年生だった男女2人がグリーンバンドに参加し、先輩を見て、自分達の進学する高校を決めた」などという話も聞きました。

明石北グリーンバンドに参加して

明石北高等学校音楽部
顧問 竹谷 将幸 先生

 今回の演奏旅行は、単に海外へ行くだけではなく、日頃の練習の成果を十分に発揮することと、明北音楽部の目標である「心に伝わる音楽」を実践し、自分達の力一杯の演奏・演技が、言葉の壁を越えて、どこまで通じるのかを試す機会にしたいと考えていました。また、ホームステイを通して異文化の中で多くの人たちと触れ合い、チャリティーコンサートで寄付を募り、その寄付金で苗木を購入し、南カリフォルニア大火災の復興支援と植樹活動を体験することで、個々の視野を広げるきっかけとなり、助け合うことの大切さを再確認し、帰国後の活動に活かしていきたいと計画を練りました。語学研修ではなく、演奏活動が大半を占めるこの企画で、ホームステイというのは冒険だったかもしれません。お世辞にも「英語」という科目に優れた生徒はおらず、中には単位を取得するので精一杯の生徒もいる中、果たして2週間以上のもの期間、生活していけるのだろうかと不安でいっぱいでした。案の定、アメリカに到着後、見る物聞く物がすべて別世界で、挙動不審な日本人の団体は、右にも左にも動けない状況でしたが、それも一時の心配だけで吹き飛んでいきました。ホストファミリーと対面し、現地の家族の一員として迎えられた生徒たちは、高校生という若さも手伝って、アッという間に異国の生活にとけ込むことができたのです。もちろん言葉の壁はありますが、怖い物知らずというか世間知らずというか、何の障壁もないかのように無邪気にホストファミリーと接する生徒が多く、私の心配をよそに自分たちの目的をしっかりと捉えて生活しているように感じられました。
気取らずオープンに接してくれるホストファミリーのおかげもあり、演奏面でも存分に力を発揮することができました。ディズニーランドにおけるパレードや、大学の体育館を借りてのマーチングコンサート、ホストファミリーを招いてのふれあいコンサート、小学校でのコンサートなど、どの演奏会においてもエンディングでは観客総立ちのスタンディング・オベーション。観客以上に、バンドのメンバーは今までに味わったことのない快感を得ることができました。
私たちは今回の演奏旅行で、目には見えない何かを掴んで帰ってきたように思います。決してアメリカでの生活を引きずっているわけでもなく、今まで通りにイベント参加など忙しいスケジュールをこなしています。しかし、生徒の瞳の輝きは以前にも増して力強い物となってきているように感じます。
今回の演奏旅行で経験したことを糧に、明北音楽部のみならず、これからの吹奏楽界が今以上に発展するように、様々な活動を行っていきたいと思っています。

仙台高校グリーンバンドに参加して

仙台高校吹奏楽部顧問 保科 雅己

第2回 仙台高校グリーンバンド アメリカ出発に至るまで

 

2005年12月25日~2006年1月4日の11日間にわたり、仙台高校吹奏楽部としては2度目のアメリカ研修を行いました。1998年~99年の同じ時期に実施してから7年ぶりになります。

 第1回目のときは、アメリカカリフォルニア州のカリフォルニアシティを拠点に参加生徒33名で実施されました。このときは、アナハイムのディズニーランドで演奏したり、地元のスタディセンターでチャリティコンサートを行ったりしたほか、仙台市と姉妹都市関係にあるリバーサイド市を表敬訪問するプログラムでした。新聞やテレビなどでも大きく取り上げられ、非常に充実したグリーンバンドの活動になりました。

 その後も3年に1度くらいの割合でぜひ実施してほしいという声があり、2001年には参加予定者数45名以上で実施計画が進んでおりました。しかし、アメリカでの同時多発テロの影響で計画は中止になり、世界情勢の推移を見守る期間が続きました。

 2005年4月、世界情勢も安定化に向かい、再びアメリカ研修の話が生徒や保護者から浮上いたしました。しかし、不況の長期化、長い冷却期間があったため、多くの生徒が参加する状況にはなりませんでした。当初は、単独で小編成バンド(20名~30名以上)が組めなければ実施しない方向で考えておりましたが、「アメリカでホームステイをしながら、何らかの演奏活動が行えれば、それでもいいからぜひ実施してほしい」という声に押され、10名以上の正式申し込みがあれば実施することにしました。

 結果として実施最低限の10名が集まりました(後に1名増)。大編成での活動に慣れている本校にとって、少人数で何ができるか模索するのは大変なことでした。第1回目のときは、すでにアナハイムのディズニーランドで演奏できることが決まっておりましたので、ある程度、目標が立てられたのですが、今回はどのような場所を拠点とするのか、現地の情報がなかなか入ってこない中では、雲をつかむような状況でした。この時点では、「カリフォルニア州でホームステイ、ディズニーランドでの演奏はなし」ということだけがはっきりしていました。それに加え、今回は学校や仙台市はこの事業に対してノータッチなので、補助金等もなく、あくまで「有志の団体旅行扱い」という条件で行うことになっていました。

 そんな中、9月はじめにグリーンバンド協会の熊谷 讓氏から朗報が届きました。「目的地をフロリダ州に変更すれば、10名程度でもフロリダのディズニーワールドで演奏させてもらえるかもしれない。ホームステイもバンド活動をしている同年代の生徒のいる家でできるかもしれない」というものでした。かなり確実性のあるお話しでしたので、生徒、保護者、旅行業者の了解を取り、目的地をフロリダに変更しました。

 アメリカ研修参加者は、原則として、その準備や練習を全体の練習時間外に行う約束になっていました。夏の吹奏楽コンクール東北大会終了後、仙高祭、秋の演奏会、けやき音楽祭、アンサンブルコンテスト、定期考査など、アメリカ研修に参加しない部員でも大変なスケジュールの合間を縫って準備や練習を行わなければなりませんでした。私は前回のアメリカ引率経験と2004年に個人的な研修のために渡米経験があったので、出発までの見通しは概ねついていたつもりでしたが、忙しい日程の続く中、参加生徒にクリアしなければならない課題を浸透させ、確実に乗り越えさせることは、なかなか大変なことでした。生徒の作文にも書いてありましたが、生徒にとっては、すべて初めてのことなので、この時期、何をどのように、どれくらいやればいいのか見えずにだいぶ苦労したと思います。特に11月下旬~12月上旬にかけて、最終的にディズニー側から演奏許可をいただくための録音をしたときは、心身ともに一番大変だったと思います。

 何とか無事演奏許可をいただき、出発にこぎつけることができたのは、熊谷氏・ジェイソン氏をはじめとするスタッフの皆様のご尽力と今回の主役である生徒たちの力だと思います。11名の生徒はそれぞれの思いがあり、最終的に自分の意志で参加を決意しました。いろいろと心配なことも多く、紆余曲折があることは予想していましたが、生徒の力を信じてここまでやってくることができて、本当に良かったと思いました。

 人間の感性を磨いたグリーンバンドの研修

 アメリカ フロリダ州での研修の詳細は、生徒それぞれの作文に譲ります。

私は、今回のグリーンバンドの研修が、生徒や私にとってどのような財産を与えてくれたのかを整理してみたいと思います。

 まず、第1に初めて体験することやアメリカという国での異文化を実際に体験することによって、何かを発見したり、何かに共感したりという新鮮な刺激をたくさん受けることができたことがあげられます。走っている車1台にしても、売っているものや食べもの、考え方や1つ1つの反応にしても、常にすべてのものが日本や自分の価値観との比較対象になりました。今回同行していただいたジェイソン氏は日本語が堪能で、日本在住歴8年という方でした。アメリカ人のものの見方と日本人のものの見方両方に通じておられ、一見しただけではわからない不思議なこともわかりやすく解説していただきました。多面的にアメリカの良さ、日本の良さを知ることができ、グローバルな視点で自分の視野を大きく広げることができました。

 その中でも今回のメインの1つでもあったディズニーワールドでの演奏や数々の体験は、人を喜ばせたり元気づけたりさせるアメリカならではのスケールの大きい懐を肌で感じることができました。

 第2に通じあえる、わかりあえる人間の輪が広がる喜びを実感できたということです。

 アメリカという未知の世界で自分の意志を伝えたり、相手の意図を読み取ることが難しい状況の連続。しかし、自分から前に出て通じあおう、わかりあおうと努力したとき、光が見えてきました。英語が堪能でないにもかかわらず、少しでも相手と会話できたとき、身振り手振りでお互いに何とか通じたとき、折り紙や演奏を通して何かを感じあえたときなど、その場限りの出会いかもしれないとはいえ、アメリカの人々と接点を持つことができた喜びは、自信と意欲につながりました。

 また、常に行動を共にしたホストファミリーやジェイソン氏とは、一緒に食べたり、遊んだり、そして一緒に笑ったりする中で、国を超えた親近感を味わうことができ、お互いをわかりあうことのすばらしさを心に染み込ませることができたのではないかと思います。

 日本に帰国してからも、何かしら自分の成長を自分で感じ、親や家族、友達や周囲に対する感謝の気持ちが芽生えた様子を生徒の作文や表情から読み取ることができます。生徒がひとまわりもふたまわりも成長し、頼もしくなった姿を見ることができるのは、この上ない喜びです。

 そして最後に音楽のすばらしさは世界共通であるということを実感できたということです。老人ホームやホストファミリーの前で感動の涙を伴いながら演奏を披露できたこと、ディズニーのワークショップで、普段の日本での練習と違ったアプローチを体験できたこと、一生に1度限りであろうと思われるディズニーワールドでの演奏ができたこと、アメリカは演奏者だけでなく、聴衆や観衆も場を大きく盛り上げているということを幾度も目の当たりにできたことなど、これまでの音楽体験の幅を飛躍的に広げることになりました。

これらのかけがえのない体験は、私たちの今後の音楽活動に大きな影響を与えてくれるに違いありません。

 すべての人に感謝 そして「アメリカ」に感謝

 形の見えないところからはじまった今回の研修は、結果として多くの方々に支えられ、普通の海外旅行では味わえない感動や財産をおみやげに無事終了することができました。

帰国後すでに現れている成果もあれば、数ヶ月後、数年後に現れてくる成果もあることでしょう。どちらかというと、お世話になるほうが多かった今回の研修。蒔かれた種をこれからすくすくと成長させ、近い将来、世界中のだれかに恩返しをできる日がくることを期待しています。

 最後になりましたが、今回の私たちの研修を支援してくださったすべての方々、そして私たちを育んでくれた「アメリカ」に心より感謝いたします!

京都橘グリーンバンドに参加して

京都橘高等校吹奏学部
顧問 田中 宏幸

素晴らしき人々

 今回、17日間の長期間に及ぶアメリカ遠征を、成功裏に締めくくることが出来たのは、当然のことながら、これに関わっていただいた全ての方々のお陰だと思います。とりわけ、私が今回印象が強かったのは、現地カリフォルニアで出会ったアメリカの方々の素晴らしさでした。

 まずは、ホスピタリティーについて。気候・風土の違いから、いくらかの生徒が体調を崩してしまいました。特に、湿度の低さは想像以上であり、乾ききった喉を痛めました。日本に住んでいる私達は、普段、いかに自分の皮膚から水分補給しているのかということがよくわかりました。体調のすぐれない生徒は、ホストファミリーの方々に実に甲斐甲斐しく面倒を見ていただいておりました。生徒がお世話になったご家族の方々には、橘の生徒を我が子のように、いや、我が子以上に気遣い、彼ら、彼女らの体調を心配していただきました。それに加えて、現地で出会ったバンドディレクターの先生方や、現地スタッフの皆さん方の親切なこと!!生徒達の活動を、最大限バックアップしていただきました。言葉では表しがたい感謝の気持ちと共に、ひとつの疑問がわき起こりました。「何故、みんなこんなに易しいんだろう・・・?」

 また、私達が現地でパレードやコンサートを行った時の反応も、大変印象深いものでした。やんやの喝采、スタンディング・オベーション・・・。ひとつの本番を終えれば、必ず何人もの人に声を掛けて貰いました。その年齢層は幅広く、お年寄りから子供達まで、口々に賞賛の言葉を掛けに近づいて来てくれました。日本でも同じように、お年寄りにお声掛け頂くことが時折ありますが、小学生ぐらいの子供が大人に賛辞を誓いに来てくれるなんて、まず考えられないことですからね。

 私は生徒達と共にそれに応えながら、常に考えていました。「何故、こうもストレートに思いを表現できるんだろう?」と・・・。我々の生まれ育ったこの日本という国では、感情表現がストレート過ぎたり、思ったことを口にし過ぎると「はしたない」「慎み深さがない」と批判の対象になりがちなんですが、「アピールの国」とも言うべき物の考え方のアメリカでは、何かを「素晴らしい」と感じたら、直接自分の気持ちを伝えることが礼儀だということなのでしょうか?戦後日本がいくら形的にアメリカナイズされたとは言え、このあたりの文化の違いには大変な隔たりを感じます。

 以上の2つの「?」の答えを導き出すことは、あまり難問ではありませんでした。つまるところ、みんな本当に「素直な心」の持ち主なんですね。彼らの考えに「計算」や「打算」は存在しません。そして、彼らが形成する社会は、姑息な行動やうがった考え方など全く関係ない世界。そんな中で、私達は半月間を過ごしていたように思います。園世界に浸りながら「心が洗われた」と感じたのは、私だけじゃなく、今回遠征に参加した全てのメンバーだったのだと思います。言い換えれば「今の私達に何が一番必要なのか」を学ばせて貰ったということなのでしょう。

 昨今日本で報道されているアメリカは、勝手に「世界のリーダー」を名乗る大統領の横暴な発言や、イラク戦争の惨禍ばかりがクローズアップされ、必ずしもプラスイメージのものばかりではありません。でも、今回そのアメリカへ足を運んでみてわかったことは、そこで暮らす多くの人達は、限りない優しさと底抜けの明るさを持った愛すべき人達なのだということでした。

 生徒達が今回の経験を日本に持ち帰り、どういったことに活かしてくれるのかが楽しみです。美しいもの、素晴らしいものに対して素直に感動し、人に対して限りない優しさを表現できる人に、今回の遠征を経験した生徒達が育ってくれたら・・・ と考えると、今回の遠征は彼ら、彼女らの人生の、単に「楽しい思い出」ということに留まらず、「生き方」を指し示されたものとなりましょう。