日米グリーンバンド協会のご案内
1998年に東北は杜の都仙台においてグリーンバンドが誕生しました。
グリーンバンドは名前の通り、地球の緑を増やすことを目的とした国際的な吹奏楽バンドであり、国内外でのチャリティーコンサート(グリーンコンサート)の収益金を用いて、植樹活動や動物保護活動などを行います。グリーンバンドは特定のバンドを意味せず、1校のみの単独バンドもあれば、多数のバンドの中から選抜される合同バンド形式など様々です。いずれも、音楽と環境の両方に関心を持ち、音楽によって地球の緑化に貢献したいと考える子供達とその指導者の集まりといえます。「国境を越えた環境ボランティアバンド」という言葉が、より具体的なイメージを持たせるかもしれません。
グリーンバンドは、当初数多くの全日本吹奏楽コンクール課題曲の作曲家として知られる内藤淳一先生や、当時宮城県吹奏楽連盟事務局長の鈴木芳夫先生(現在仙台市教育局教職員課管理主事)、更には当時仙台高校が校吹奏楽部顧問の細倉博先生(現在宮城県泉館山高校吹奏楽部顧問)など、数多くの熱意ある音楽指導者の先生方のお力添えにより発足致しました。当初はたった5名から成る木管アンサンブルバンドから始まりましたが、5名のための曲のアレンジや事前の演奏指導などを内藤淳一先生が行ってくださり、最初のプロジェクトを成功に導いていただきました。
その後、グリーンバンドの規模が少しずつ大きくなり、仙台高校の33名がアメリカに遠征に渡った際には、ジュニアバンドとしては初めてアメリカ・アナハイムのディズニーランドにおける最大のステージ(ファンタジーランドシアター)において演奏会をしたということもあり、地元の新聞・テレビ局のほとんどが取り上げるほどの騒ぎとなり、一躍脚光を浴びることとなりました。また、滞在先のホストファミリーの方々を招いてのさよならグリーンコンサートは、今でも語り継がれるほどの名演奏となり、深くアメリカ人の心に刻まれました。
仙台高校が渡米した翌年に、宮城県吹奏楽連盟が40周年を迎え、それを記念して「宮城グリーンバンド(All MIYAGI GREENBAND)」が結成されました。このバンドには宮城県各地から51名の中学・高校生が集まり、音楽レベルの技術的な差を乗り越え、一つの素晴らしい音楽を作り上げました。団長の宮城県吹奏楽連盟会長三塚尚可先生のもとに、中学生が7割を占めるバンドとは思えないほどの結束が生まれ、何のトラブルもなく、無事に全てのプロジェクトを完了できました。中でも、絶滅寸前のカリフォルニア砂漠亀を救済するためのグリーンコンサートは地元の方々に大きな感動を与え、アメリカ人の中にも、グリーンバンドに参加したいという人々が多く現れるほどでした。
宮城県グリーンバンドの後、しばらくの間活動を休止しましたが、2004年に日本グリーンバンド協会として活動を再開し、全日本吹奏楽連盟副理事長 平松久司先生を会長に迎え、より規模の大きなプロジェクトが計画されるに至りました。その第一弾として渡米したのが、今回の雑誌でも取り上げました兵庫県立明石北高校を中心とする73名の明石北高校グリーンバンドです。それまでのグリーンバンドが座奏中心であったのに対して、明石北高校がマーチングで有名な学校であったこともあり、座奏のコンサートを残しつつ、ステージドリルコンサート(グリーンマーチングコンサート)やディズニーランドにおけるパレード演奏(ディズニーランド公式クリスマスパレード)に至る、多くの場面で華麗なマーチングを披露し、現地の人々に大きな感動を与えました。
このバンドのチャリティーコンサートによる収益金により、生徒自身が実際に植樹活動に参加した他、2003年10月に起こった南カリフォルニア森林大火災に対する復興支援活動の一環として、現地の森林保護団体に支援金を寄付することができました。これまでのバンドの中でも、「音楽を通じて環境に貢献する」というグリーンバンド本来の目的がもっとも果たされたという意味で、今後のグリーンバンドのあり方にも大きな影響を与えました。