日米グリーンバンド協会 | 参加者・保護者の声
(2007年12月26日〜2008年1月4日 生徒11名参加)
保科 雅己(吹奏楽部顧問)生みの喜び 達成の喜び 共有の喜び
保科 雅己(仙台高等学校吹奏楽部顧問)
「先生、アメリカに行きたいです」
今回も新学期が始まってから2人の生徒が申し出てきた。本校では過去2回、吹奏楽部有志にて渡米している。 公立高校の単なる1つの部活動の行事という性格上、過去2回とも学校や市などからの大きな支援は得られず、 経済的にも時間的にも人手的にもかなり大変な状況での実施であった。
しかしながら、グリーンバンド協会のスタッフの皆さんや現地のホストファミリーに支えられ、通常のツアーでは 得ることのできない大きな収穫をもたらしてきた。過去2回の経験から、グリーンバンド協会のプログラムは極めて 良質で、参加者を大きく成長させることができると確信していた。
再び実現するためには、必要最小限の参加者、参加生徒の自主性、学校・保護者・参加しない部員の理解と協力が 不可欠である。そして、こちら側の条件が整うだけでなく、現地で本当に受け入れてもらえるのか、グリーンバンド 協会のスタッフの皆様のサポートをいただけるかということがクリアされなければならない。このプログラムの1つの 目玉でもあるディズニーワールドでの演奏もテープ審査をクリアできなければ、参加生徒にとって一生に一度であろう 機会を逃すことになる。
お忙しいところグリーンバンド協会の熊谷氏にはるばる京都から来校いただき、詳しい説明を1〜2年生部員全員に 行った。確実に行ける生徒と保護者代表を中心にしばらくの間、参加希望者を募り、その様子をみて実施態度を決定 することにした。
夏の吹奏楽コンクール東北大会などを経て、参加者が確定したのは夏休みの終わり頃であった。当初、熊谷氏には、 見込みで飛行機の座席を30席確保していただいていたが、世の中の経済状況は依然厳しく、第2回と同じ11名に とどまった。また、第3回アメリカ遠征実施予定時期と同じ時期に、各校から何名でも参加可能なソロコンテストの 予選が重なっていたことも一因であった。とりあえず前回と全く同じ人数は揃ったので、多少の困難を伴うのを承知で 実施に向けて動き出すことにした。
第2回の参加者は木管楽器中心で、楽器の音域も適度に分散していたので、市販の吹奏楽譜を書き換えることは 比較的容易であった。また、ソロコンテストとも日程が重なっておらず、部内でもある程度、腕に自信のあるメンバーで 構成されていた。
しかし今回は、Cl×3、Hn×2、Trb×2、Euph×1、B.Sax×1、打楽器×2とバラけており、 主にメロディラインがとれる楽器はクラリネットのみ。メンバーの半数以上が金管の中音域、低音もB.Sax1本 という非常に変則的な編成となった。また、部内でリーダー職に就いている生徒が1人も含まれず、苦しいスタートを 切ることになった。毎年、吹奏楽連盟主催で行われているアンサンブルコンテストの人数の上限は8名。演奏時間は 5分以内。同種・同属の楽器で組まれることが多い。しかもポップスを演奏することはまれ。アンコンより3名多い 人数でアメリカ人の心に響く演奏をするにはどうしたらよいか。もちろん1曲だけでなく、30分〜50分くらいの コンサートを開くには相当数の曲が必要。通常、我々が使っている大編成用の楽譜はそのまま演奏できない。少人数用の 楽譜がミュージックエイト社などから出版されてはいるが、アレンジがシンプルすぎて原曲のニュアンスを表現しきれない 難点がある。
前回の経験も踏まえ、アメリカでは、日本の曲はあまり受けないので、欧米の曲を中心に選曲しなければならない。 可能性のある楽譜を片っ端から試奏することから始まった。前回と同じ曲も含めたが、楽器編成が違うので当然そのままは 使えず。まず、生徒全員にスコアを配り、メロディや重要なパートの確認。音が欠けているところを補ったり、多すぎる 伴奏を削ってメロディに割り当てしなおすことを生徒たちでやってみるように仕向けてみた。第2回のときはこれだけで 大部分がうまくいった。
しかし、今回は自分のパートの演奏だけで必死の生徒が多く、全体がどうなっているかをきちんと把握し、他のメンバーを 指導できる生徒がこの時点ではほとんどいなかった。また、夏の時点では基礎力が十分に身についていない生徒が多く、 演奏がうまくいかない原因が楽譜のせいなのか、各自の奏法なのかを判別できなかったのではないかと思う。自分の楽器の 演奏すら危ういのに、他の楽器の奏法上の問題点をズバリ指摘するのは困難だということがわかった。生徒は無我夢中の 状態であった。本当は全て生徒の力で進めていくという方針を貫きたかったが、十分な素養が備わっていない状況だったので、 可能な限り、私も生徒の練習に付き合うようにした。
ここからは地道な作業。1曲1曲の部分部分のバランスや和音の配置の変更、生徒個人個人の演奏能力に応じた楽譜の 変更、全体のサウンドチェック、個人個人の奏法やあるべき音色の指導などかなりきめ細かな指導を要した。部全体の 練習や秋の時期に行われた数々の演奏会やアンサンブルコンテストの指導も気になっていた。そして、不覚にも私が 体調を崩し、約1週間ほど入院。「秋の演奏会」も病院の外出許可をもらって指揮をした。自宅療養を含め10日間ほど 穴を空けることになる。10日間で済んだのは、不幸中の幸いであったが、いろいろな計画や準備も後にズレこむ結果に なった。当初はあくまで有志のグループで極力、部全体の練習には迷惑をかけないつもりで取り組むはずだったが、 ディズニーのオーディションテープ録音などの期限が迫り、いよいよこのペースでは間に合わないことがはっきりしてきた。
私は「このアメリカ研修の機会を利用して、生徒をしっかり育てて、部全体に貢献できる人材を育成しなければ・・・・」と 強く再認識した。部全体の練習時間を多少なりとも削らざるを得ない状況だったので、参加しない生徒からの批判が 気にはなっていた。しかし、生身の人間が発達段階を急に飛び越えて成長することはあり得ないので、じっくりと向き合う しか方法はないと思った。「その成果を他の部員にも十分に納得させられるだけのものにすればお互いの利益になる・・・・」 そう考え、とにかく11人の生徒がこのアメリカ遠征に一生懸命取り組み、何とか成功に結びつけるよう努力している 姿を部員全員に見せたかった。
時は11月。グリーンバンド協会の熊谷氏よりディズニーオーディション用の音源を催促される。こちらも前回の流れを ある程度承知していたので、明らかにタイムリミットを迎えていたことを認知していた。「それでは明日録音するぞ! 大丈夫だな」という問いかけに「はい!」という生徒らの返事。そして翌日。「先生、やっぱり○○さんが体調不良で お休みです」という日もあり、さらに延期。いざ全員が揃い、演奏時間約6分30秒の「アバ ゴールド」の曲を通すと、 誰かが必ずと言っていいほど録音上はっきりわかるミスをしてしまい、録音し直し。録音を繰り返すうちに、口が疲れる やら集中力がなくなるやらで、かえってミスが多くなる始末。このことはある程度予想されていたことでもあるし、 本当の力が身についていない証拠でもあった。タイムリミットを迎えていたので、数回録音した中であまりミスの目立たない 音源を熊谷氏に送った。万一、ディズニーのオーディションを通らなくてもしかたがないことを覚悟の上だった。案の定、 熊谷氏から「少しミスが・・・・」という返事がきた。熊谷氏は「ディズニー側にもう少し待ってもらうよう交渉するので、 一発でOKがもらえる録音と録画をもう一度してほしいとのことであった。」
ありがたかった。アンサンブルコンテストの練習、考査、2年生の修学旅行などたくさんの行事を控えている中で 大変厳しかったが、再度録音、録画。これらのデータは電子メールに添付し、瞬時にアメリカにも送信できる時代。 熊谷氏にスピーディーに対応していただき、その後めでたくディズニーのオーディションに無事合格、演奏許可が下りた。 12月初旬の保護者同伴の最終説明会の日とほぼ時を同じくしての回答であった。
保護者最終説明会の日。熊谷氏、ジェイソン氏、保護者の方々は、われわれの準備がだいぶ整ってきている頃と思って いたに違いない。渡航に関する大切な説明、ホームステイ上の諸注意など遺漏なく行われたが、私と参加生徒全員は 気が気ではなかったと思う。正直、この時点ではオーディションのために練習した曲とその他2〜3曲しかまともに 演奏できていなかったからだ。ディズニーのオーディションは、とりあえず1曲以上エントリーすればよく、演奏予定の すべての曲ではなかった。ディズニーをはじめ、老人ホーム、さよならコンサートでは、25分〜50分程度演奏 しなければならない。まだ、半分以上の曲が怪しい状態なのだ。しかも10日後くらいには、アンサンブルコンテストの 地区予選があり、そちらの練習も不十分。クリスマスイブの日(12月24日)には、「東北吹奏楽の日演奏会」 での仙台二高との合同演奏もある。
まずはアンサンブルコンテスト地区予選を優先させた。考査終了直後の12月15日の本番、本校から5グループ (計33名)出場。1〜2年生部員の約半数。アンコンは個人やグループの演奏力向上に欠かせない行事である。 アンコン予選本番の日まで各グループの指導に重点を置く。そしてアンコン予選当日。おかげさまで全5グループとも 「金賞」を受賞。うち県大会出場は「打楽器8重奏」と「木管5重奏」の2グループ。青葉支部からは3グループしか 県大会に行けないのでまずまずの好成績。アンコン県大会は1月20日なので、アンコンの練習はひとまずお休みとし、 アメリカの練習に専念する。仙台二高との合同演奏は、本番前の2日間の連休にかけることにした。
この期間は生徒と自分の健康管理にかなり気を配っていた。極端に長い練習時間にならぬよう、帰宅後にきちんと 体力回復ができるよう可能な限り配慮した。1人でもカゼやインフルエンザなどで体調をくずしたら計画そのものの 根底が揺らぎ、さらに1人あたりの負担が増す。私も10月に入院した不安が全て解消したわけでもなく、 体調面でもアメリカ同行に万全を期さなければと考えていた。
アンコン予選後、アメリカ遠征参加者から全部員に無理を言って、これからの練習時間のほとんどをそのための 練習にさせてもらうことにした。他の部員が理解を示してくれたことに感謝・感激であった。
アメリカの練習のほうは、オーディション用の曲の出来が一番良く、他はこの時点でも部分的にメロディが抜け 落ちている曲すらあった。
遠征中行われる3回のコンサートの全容も固まっていなかった。「1曲1曲を仕上げなければ・・・・」という思いは あったものの、「それぞれのコンサートの機会を通して全体で何のメッセージ伝えるのか」全体像がはっきりしていなかった。
遠征中3回行われるコンサート。「老人ホームでのコンサート」「さよならコンサート(ホストファミリー)」 「ディズニーワールド(マジックキングダム)でのコンサート」のそれぞれのコンサートの全体像を確認しつつ、 最後の追い込みの練習をした。「老人ホーム」と「さよならコンサート」は、第2回の遠征時と同じ会場での演奏と 聞いていたので、私自身も生徒にきちんとイメージを伝えられた。「ディズニーワールド」の演奏は、演奏会場が 前回と変更になり、どんな会場か未知の世界だった。地図上で建物のあるエリアはわかったが、ディズニーの ホームページには写真も掲載されておらず、前回行った際も特に気に留めた記憶のない建物だったので、私も少し 不安だった。「とにかくやるしかない。成功を祈って・・・・」その思いで必死にイメージづくりをした。
そうは言っても参加生徒は全く未知の世界。会場の空気やアメリカ人がどう感じ、どう反応してくれるのか わからないのが当然。いまは想像の世界のみ。あとで「想像どおりだった」「想像をはるかに超えるものだった」 という参加生徒の感想を聞けることを期待してひたすら努力するのみであった。
挨拶や司会、曲中の演出などの確認をこまめに行った。歌なども取り入れ、プログラムにヴァリエーションを 持たせた。「老人ホーム」「さよならコンサート」では、演奏後に聴衆の皆さんとどう触れあうか、いろいろとネタを 用意した。色紙・折り紙・短冊など言葉が通じなくても心が通じ合えることを求めて準備した。もちろん最大の言葉は 私たちの音楽だということを信じて・・・・。
次第に形が見えてきた頃、私はあることを懸念していた。それは「仙台高校の音楽室でできてもダメ」ということ。 外国に行くということは想像以上に神経を使うということ。「日本では口で簡単に伝えられることも、外国では思うように 伝えられない、聞き取れない」「常識や風習が違う」「いろいろなものに気をとられ、演奏に集中できない」「時差がある、 水や食べ物が違う、長旅や環境の違いによる疲れの蓄積がある。よって体調が日本と同じように維持できるかわからない」 など条件が違うことがあまりに多い。これは過去の海外遠征で私が身をもって感じていたことだし、他団体の海外遠征での 苦労話などからも容易に想像できることであった。
とにかく生徒は夢中で、細かいことまで目が行っていない。私は、生徒が夢中で頑張りつつも現地へ行ってから 混乱しないようにといろいろと種まきを始めた。現地で注意すべきことを現地に行ってその場ではじめて注意されるのでは、 タイミング的に遅いからだ。注意してほしいことを少しずつ生徒の頭の片隅に入れてもらえるように仕向けた。
東北吹奏楽の日演奏会の合同演奏を無事終えた翌日は、早くも出発前日。演奏面の最終確認と楽器を含めた持ち物の 点検をして、何とかぎりぎりセーフの状態で出発日を迎えることになった。
出発日の朝は学校で簡単な出発式を行い、保護者や数人の先生方のお見送りで成田空港に向かった。バスの車中、 もう1度今回の遠征の目的や海外での注意事項の確認を行った。諸準備に追われていたので、目的や生徒の意識を再確認する 必要があった。注意事項は、一般に旅行会社の添乗員が行っているものと、団体行動での諸注意、ホームステイでの心構え など多岐にわたった。いずれも自分が何度か経験していることだったので、重要な点を網羅して伝えることができたと思う。
成田空港でジェイソン氏に再会した。前回は行き帰りジェイソン氏の同行はなかったので心強かった。JTBの空港 スタッフに手続きのアシストをしていただく。そしていよいよ飛行機に搭乗。アメリカに向けて出発。
実は、ここまでが私の任務の大半であったと思う。演奏を含めたいろいろなたくさんの想いをパッケージしてきた。 あとはそれをアメリカで開くだけ。開くときにパッケージしたものを壊さないように注意するだけ。開いた場所でどう化けるかはお楽しみ。
現地では、ホストファミリー、老人ホームのスタッフ、ディズニーのスタッフの皆さんには本当にお世話になった。同行して くれたジェイソンには、通訳・添乗員・コーディネーター・ドライバー・観光ガイド・生徒の健康管理・カメラマン・楽器の レンタルなどすべての仕事を迅速かつ的確に行っていただいた。睡眠時間・自由時間とも一番少なかったのではないかと思う。 日本語が話せるアメリカ人のなせる業で、英語が話せる日本人ではなし得ない業だと思う。ジェイソンなくしては、今回の遠征の 成功はあり得なかったと思う。また、グリーンバンド協会の熊谷氏、現地でのさまざまなコーディネートをしていただいた エミコ氏の周到なる事前準備なくしては、実現できなかったことである。熊谷氏は同時期に200名規模のマーチングバンドの カリフォルニア遠征も担当しておられ、わずか11名の我々の遠征のためにこれだけ労力を割いていただいたことにただただ 頭の下がる思いである。しかも前回の遠征同様、ジェイソン氏が撮影した写真のデータをカリフォルニア遠征中の熊谷氏に送信し、 さらに日本のグリーンバンド協会スタッフの方が「現地活動報告」ということでリアルタイムでホームページにアップしていただく というサービスを実施してくださった。留守宅の保護者が我が子の様子を自宅のパソコンで毎日確認できるというのは大変好評であった。
遠征中は、大きなトラブルもなく、所期の目的をすべて達成することができたと思う。少し心配したことは、やや体調を崩した 生徒がいたこと、オーランド空港で1つだけ楽器が出てこなかったこと(翌日ホテルに配達)、帰国日の飛行機の搭乗がぎりぎり だったこと。いずれもジェイソン氏のサポートで乗りきることができた。
現地でのさまざまな出来事の詳細は、参加生徒各自の文章を読んでいただければ、よくお分かりいただけると思うので、 私の文章は割愛させていただく。
帰国後、しばらく経過したが、おかげさまで参加した生徒は大きく成長し、部内でも要職を担当するようになり、他の部員からも その存在を認められるようになってきた。多くの方々の支援によって、生徒の人間形成が大きく一歩前進した。参加した生徒は 1〜2年生なので、さらに1〜2年後が期待される。
今回、私はこの文章を指導者という視点から、特に準備段階に重点を置いてまとめてみた。本校吹奏楽部は、上半期は 1〜3年生で約100名、下半期は1〜2年生で約60名で活動している。常に大編成での活動が主になるが、全員での 海外遠征となると現実的には不可能である。何らかの形で吹奏楽を通した国際交流を実現しようとなると、希望者での実施に ならざるを得ない。本校では2度にわたり、11名という少人数でアメリカ遠征を実施させていただいたが、これだけの人数でも 大きな成果を上げることができた。もちろんグリーンバンド協会の絶大なる支援があってはじめて成り立つのだが、いざ実現と なると単なる公立高校の1つの部活動としての位置づけとしては、それでも大きな困難がある。現時点においては、原油高による 航空運賃の高騰、高校の予備校化による部活動の減退、少子化による吹奏楽の編成の縮小傾向など、大編成での海外遠征実現に 向けての明るい材料は少ない。それゆえ、この11名での実績が今後、他校で実施する場合のモデルケースにもなるのではないかと 思い、指導者の立場で詳しい経緯を記してみた。
グリーンバンドのプログラムは、単なる修学旅行や観光旅行の引率と違い、実施の決断に向けては勇気のいることである。 たとえ過去に実施した経験があっても、参加する生徒や環境は変化しているので、毎回毎回新しい生みの苦悩を伴う。しかし、 実現できたときは、参加生徒・教員ともども「生みの苦悩」が「生みの喜び」に変わり、各種演奏やホームステイなどを経験する ことによって、今まで味わったことのない「達成の喜び」や「共有の喜び」を全身で感じることができる。帰国後もこの大きな プロジェクトを成し遂げたエネルギーが、別の生みのきっかけをつくり、人間として生きる力につながっていく。教員として生徒が 輝く場面に居合わせることができるのは、この上ない喜びである。
今回、私は大きな機械の歯車の1つとして、他の皆様の絶大なるご支援・ご協力のもと、無事、その歯車の責務を果たすことが できたことに、心から感謝申し上げたい。そしてこの機械が今後とも世のため、人のために動き続けることを願って・・・・。
「最高の思い出」
針生 実歩(2年 打楽器 団長)
私がアメリカ研修に行きたいと考えたのは、仙台高校に入学した時からだった。理由は、外国に行ってみて自分の英語力を 試したいということと、何より私の将来の夢がディズニーワールドで働くことだったので、「ぜひディズニーで演奏したい!」と 強く思ったからだ。私は、2005年にも先輩方が行っているので、「また行けるだろう」と入学したその頃は軽く考えていた。
2年生になる春休み、先生から「今年は誰からも何もアプローチがないからアメリカには行かないぞ。今からじゃ遅いから もう行かないと判断していいのか。」と部活のミーティングで言われたその時は、行けるだろうと軽く考えていた私にとって、 とても驚いたことだった。いてもたってもいられなくなった私は、前から「自分もアメリカに行きたい!」と話していた瑞姫と 一緒に先生の部屋に行った。「私、アメリカに行きたいんです!」と言って「今さらもう遅い。」と怒られるのではないかと思い、 1度は先生の部屋に行くのをやめようかと思ったが、あの時やめないでよかったと思っている。4月8日、たった2人から計画が始まった。
1番最初に当たった壁は、メンバー集め。やはり、このような大きな研修をするにはたくさんのお金が必要で、行きたくても 行けないという人がほとんどだ。説明会を開いたり、呼びかけをしながらもなかなかメンバーが集まらず、正式に決まったのも 夏休みが明け、しかも部活は新体制の活動が始まるという忙しい時期だった。前回のアメリカ研修と同じく11人が集まり、 活動が始まった。今回は前回より楽器の編成が厳しく、中低音が多い編成なので、メロディーをうまく分けるなど、楽譜の パート分けも大変だった。
アメリカの練習は普段の部活の時間外でやっていたが、部活の練習とアメリカの練習を両立するのはなかなか大変なもので、 秋の演奏会や、アンサンブルコンテスト、学校のテストもあったし、修学旅行もあった。曲の練習がなかなかうまくいかず、 ピリピリとした時は何度も何度もあった。
私が団長、瑞姫が副団長で活動していたが、2人ともそのような大きな役職に就いたことがなく、うまくみんなをまとめられない がために、自分にいらだつことが多くなっていた。「本当にアメリカに行けるのだろうか」と何度も何度も悩んだ。
そしていよいよ出発の前日!「このメンバーで練習をするのも最後なのか…」と思うと、ものすごく寂しくなった。学校で楽器の 梱包作業をしていても、「本当に明日アメリカに行くのだろうか…?」と実感が全く湧くことはない。家で荷造りをしているとき、 ホストファミリーのことを考えながら、「あれも持っていこう♪これも持っていこう!」と物を詰めているうちにキャリーバックが とても重くなっていった。それでも私は、重量オーバーにはなっていないだろうと勝手に信じ込んでいた。
出発当日、中型のバスに楽器とキャリーバックを積んでいざ出発!部活の仲間や、学校の友達、先生方に見送られる中で私たちは 出発をした。バスの中では、みんなで喋りながら行ったので楽しかった。ふと気づくとみんな寝ていて、あっという間に成田空港に 着いた。空港でジェイソンさんと合流した。荷物検査し、荷物の預け入れをした。自分の番になり、キャリーバックを台に乗せると… 25キロ!?やはり、重量オーバーをしていた。そのときはものすごく焦り、変な汗が出ていた。どうしようかあたふたしていると、 検査員のおばさんが、「もう1つの荷物が軽いから、そっちに入れれば大丈夫よ。」と言ってくれた。周りをみると、みんなはすでに 終わって待っていた。急いで荷物を入れ直してなんとか大丈夫になった。
飛行機に乗るのは初めてではなかったが、10時間も乗るのはすごく緊張した。飛行機が離陸してから1時間ぐらいが経ったころ、 機内食が出てきた。日本から飛ぶ飛行機だから乗務員はきっと日本人だろう!と思っていたが、日本人は1人しかおらず、ほかは みんな外国人。近くの人のところにきたとき、「○#☆’~…」なんて言っているのかわからなくて焦った。出てきたものも、すごく 冷たく、あまりおいしいものではなかった。アメリカで毎日これを食べると思うと少し不安になった。そのあとはほとんど寝て 過ごしたが、10時間は思っていたよりも意外と長かった。
ダラスの空港に着いて空港内を移動するモノレールに乗ると、外の夕日がとてもきれいだった。そしてアメリカで初めての 買い物をした。アメリカの店員さんはフレンドリーで、いろいろ話しかけてくれた。
オーランドの空港に着いてホテルに向かった。ホテルに着いてエレベーターに同じ部屋の智奈美と美由紀と乗っていると、 途中でバスケットの格好をした男性3人組が乗ってきて、「Hi!」と言われた。私たちも返すと、何かを言われたが、分からなかったので、 「I’m from Japan!」と言っておいた。部屋に入ろうとしたが、カードキーをうまく使いこなせずに困っていると、その人たちが 助けてくれた。話しかけられたのはすごく怖かった。時間はすでに12時近かったが、みんなで近くのデニーズに行った。
朝起きてご飯を食べた。ジェイソンさんがバン(ベンと名付けた)を借りてきてくれて、それに乗ってNASAのケネディ宇宙センターに 向かった。行く途中の景色がものすごくきれいで、右も左も海だった。センター内を移動するためのバスの列がすごく混んでいて疲れた。
そしていよいよホストファミリーと対面!わたしの家族はホテルまで迎えに来てくれた。そのあとほかのファミリーも待っている 待ち合わせの駐車場へ行った。行く途中の車のなかは緊張して何も喋れなかった。電子辞書で「緊張」を調べて見せると、 「大丈夫だよ。」と言ってくれたが、そのときはあまり安心できなかった。
みんなと別れたあと、家族でご飯を食べに行ってサラダを食べた。そこでいろいろ喋ることができて少し安心した。自分の話す 英語が相手に通じてすごく嬉しかった。店を出る前に飴を買ってもらって家に帰った。家に着くと、まず大きくて驚いた。 庭にトランポリンがあって一緒に遊んだ。長い飛行機と慣れない英語で疲れていたが、とても楽しかった。
次の日の朝は早かった。長女のキャリーに車で送ってもらい、集合場所に集まった。今日はアメリカに来て初めての演奏の日。 みんなで「ベン」に乗って老人ホームに向かった。到着してまもなく本番だった。みんな時差ボケがあり、なかなか演奏に集中 することができなかった。演奏の後は折り紙タイムで、リーダーさんという方と一緒に折り紙をした。風船を作ってあげると とても喜んでもらえた。そのあと、みんなで名前を付けた木を植樹した。午後はみんなでフロリダモールに行った。広さにとても驚いた。
次の日は1日中ファミリーと過ごした。もうだいぶ英語にも慣れ、ファミリーとも仲良くなれた。「ブルースプリング」という マナティを見ることができる自然公園に行った。私は途中で具合が悪くなってしまって休んだ。しかし、夜にはすっかり元気になり、 キャリーとホネスティーと日本の「めんこ」で遊んだ。うまく進まなかったので、私が新しいルールを作って教えた。寝る前に ホストファミリーへプレゼントとして色紙を書いた。気づいたら3時を過ぎていて急いで寝た。
ホストファミリーと過ごすことができる最後の日の午前中は、キャリーと3人でダウンタウンディズニーに行った。そこには たくさんのお店があり、話をしながらまわることができた。午後からは久しぶりにメンバーが集まっての練習。だが、あまり うまくいくことができず、先生に注意された。みんな気持ちはあるが、それをうまく音に出すことができなかった。練習の時間は あっという間に終わり、ファミリーが集まってきた。いよいよ「さよならコンサート」が始まる。演奏中、家族の顔を見ると笑顔で こちらを見てくれていた。その笑顔を見ると、今までのホームステイの間のことが頭に浮かんできた。最後にアメージンググレイスを 演奏し、拍手をもらったときは本当に嬉しかった。「今までいろいろ大変だったけれど、やってきてよかったな」と心から思って涙が 出てきた。たった4日間という短い間だったが、見ず知らずの私たちを家族として迎えてくれて本当に感謝している。ホストファミリーと 過ごして日本語が全く通じない中、過ごした4日間は、辛かったがそれよりも達成感とファミリーと別れる寂しさのほうが大きかった。 I love my family.Thank you very much!
朝、ファミリーと別れを告げ、ディズニーへ向かった。いよいよ私が夢見ていたディズニーワールドに行けると思うと胸がワクワクした。 ディズニー初日はマジックキングダムへ行った。向かう途中、日本のハッピーニューイヤーだったので、みんなでカウントダウンをして 盛り上がった。ホストファミリーと過ごしてから、みんなとの接し方が変わった。前よりも私もみんなも仲良くなっていた。
船に乗ってゲートに向かうとき、激しい雨が降ってきた。すごく残念に思っていたが、なんとシンデレラ城の上にきれいな虹が かかっていた。偶然ではあったが、何かあると思い、雨など忘れて気分が晴れた。マジックキングダムでは自由行動だったが、 11人全員で回った。最初に乗ったのはホーンテッドマンション。日本と少し違う部分もあって楽しかった。次にビックサンダーマウンテンに乗るため移動していると、私たちが今日演奏する「ダイアモンドホースシュー」が見えてきたので、みんなで中へと入った。すると、すでにステージはセッティングされていて、みんなそのステージを見ると言葉が出なかった。
ビックサンダーマウンテンに乗った後は集合をして、ディズニーの裏に行った。そこにはほかにも3つほどアメリカの大きな マーチングバンドがいて、11人の私たちはその雰囲気に完全に呑まれていた。自分はディズニーのゲストではなく、キャストだと 思って決意を固めた。案内をしてくれるJBさんと共に歩いて園内を移動していると、周りの人に写真を撮られたり、挨拶をかけられた。 本番前で少し緊張していた私は、緊張が和らいだ。本番の前にディレクターさんと話した。何回も曲紹介のスピーチの練習をした。
いよいよディズニーの舞台に11人は立った。始まってからはあまり覚えていないが、英語はとにかく恥を捨てて思いきり話した。 アメリカに来てからの演奏で1番うまくいったと思う。終わってからみんなをみると笑顔だった。
演奏が終わったあとはJBさんに聞いたおいしいお店でご飯を食べた。食べ終わって外に出ると、BGMでYMCAが流れていた。そこでは、 集まっていた人たちが踊り、歌っていたので、私たちも一緒に混ざった。パレードをやっていたわけでもなく、園内のBGMにしか すぎないのにもかかわらず、こんなに盛り上がれるのかと驚き、そして楽しんだ。途中から混ざったが、最後にはみんなでハイタッチを した。日本ではありえないような音楽のつながりに、11人は感動した。
その後、スペースマウンテンへ行く途中、人混みがすごかったため、2つにはぐれてしまった。しかし、私たちは落ち着いていた。 信じて目的地に行ってみると、そこにははぐれたみんながいた。会えることができてとても嬉しかったせいか、抱き合ってしまった。 すっかりアメリカ人のような気分でいた。スペースマウンテンにみんなで乗った後、近くで何やらディスコのように盛り上がっていった 場所があったので近づいてみると、私たちが演奏をしたアバの曲が流れだした。またも偶然かと思い、みんなで踊った。ものすごく楽しかった。
そして今日は大晦日。新年のカウントダウンをした。演奏もあったので、みんな疲れていたが、1分前になると自然と元気になった。 新年の花火は予想以上にきれいで、あたりが昼のように明るくなった。帰りの「ベン」の中はみんな疲れて寝入ってしまった。
次の日はまず「ウォルマート」で買い物をした。「日本のジャスコ」とジェイソンさんから聞いていたが、ジャスコよりも大きかった。 お昼はジェイソンさんのおごりでピザを食べた!アメリカの食べ物は私にとってあまり合うものではなかったが、ピザだけは日本より おいしいと思った。ジェイソンThank you!そのあとに日本でも有名なドーナツを食べた。ドーナツは先生のおごりだった。先生Thank you! お昼を食べた後だったので、少し無理があると思ったが、思ったよりおいしくて、何個でも食べられそうだった。
ディズニー2日目は、サウンドトラックセッションで、リッチ先生にお世話になった。これは初見で演奏して録音をするというもので、 いつもあまり初見ではやっていなかったので、大変だった。簡単なリズムでもミスをしがちで、先生に注意された。初見をする時の ポイントをいくつか教えてもらい何曲か演奏をした。始まって1時間30分の時に休憩時間となった。みんな集中をしていたので、 15分ぐらいしかやっていない感覚だった。普段の練習で自分がどれだけ集中できていなかったのかがよくわかった。完成したものを 聞いてみると、演奏はあまりいいものではなかったが、自分たちが演奏したものとアニメーションと一緒に流れるのを見て嬉しかった。
セッション終了後、MGMスタジオに行き、エアロスミスのローラーコースターに乗った。90分待ちだったが、ジェイソンさんと いろいろ喋ることができて楽しかったので、待ち時間は早く感じた。このジェットコースターは1回転するものだった。人生で初めて 1回転するジェットコースターに乗った。乗る前はものすごく怖かったが、乗ってみると楽しいものだった。
夜はみんなで「FANTASMIC!」のショーを見た。急に寒くなってきたのと、私たちが見ていた側の装置が故障してしまって残念だった。 日本のショーのスケールとは全然違って驚いた。
ディズニー最終日、午前中はアニマルキングダムに行った。ヒマラヤのジェットコースターに乗った。これもなかなか怖かった。 みんなでサファリの車に乗って、たくさんの動物たちを見た。本当にアフリカに来ているようで、なかでもフラミンゴがきれいだったのと、 ゴリラをものすごく近くで見ることができてすごい迫力だった。
午後からはエプコットに移動して遊んだ。みんなでテストトラックに乗ったあと買い物をした。美冴と欲しい物を探したが、そのお店が 閉まっていてがっかりした。夜ごはんはみんなで日本館へ行ってうどんを食べた。注文も久しぶりの日本語で喋り、みんなでなつかしく感じた。 最後に日本館の前で花火を見た。花火を見ながら、もう明日には帰るのかと思うと、もっとみんなで活動したかったと思った。
帰る日の朝、みんな疲れていたせいか寝坊をする人が多く、ジェイソンやほかのみんなに迷惑をかけてしまった。そしてまた長い間の 飛行機に乗った。日本へ帰るのかと思うと、全く信じられなかった。もっともっとアメリカにいてたくさん話して、音楽を楽しみたいと思った。
成田空港に着いて、ジェイソンさんとお別れだった。この短い間、ジェイソンさんがいてくれたおかげでこの研修は成功したと思う。 私たちは、たくさんの迷惑をかけてしまい、もっと自分たちから動いていればと、今さら後悔している。私たちは感謝の気持ちをこめて、 色紙をプレゼントして、Stand By Meを歌った。大好きなジェイソンさんとお別れするのは本当に悲しかった。またぜひ会いたい。
この9ヶ月間を通して、迷惑をかけたこともたくさんあった。自分が成長できた面もアメリカに行ってわかったが、自分ができていない 面にもたくさん気づくことができたので、これからの生活に生かしていきたい。何よりも、アメリカの音楽を今の部活のみんなに伝えて いきたいと思う。このような素晴らしい経験ができたことに、熊谷さん、ジェイソンさん、ホストファミリー、保科先生、部員のみんな、 家族、そして11人の大切な仲間に感謝したい。
「異文化に触れて」
増子 瑞姫(2年 打楽器 副団長)
私がアメリカ研修に参加したきっかけは、言語も違う国で「音楽を通して何を伝えられるか」また「異文化に触れ、自分をもっと よく知るきっかけになれたら」と思ったからだ。
最初は2人から始まり、何回も説明や呼びかけをして、最終的に集まったのが11人。人数としては前回と全く同じだが、 トランペットもサックスもおらず、主旋律はクラリネットのみと、アンサンブルをするには楽器の編成にかなり偏りがあった。そのため、 全体のサウンドのバランスをうまくとるのがすごく難しく、1番気を使った。また、部活のスケジュール的にも忙しい時期が続いており、 練習時間の確保も大変だった。部員のみんなにはたくさん迷惑をかけ、協力してもらい、本当に感謝しなければならないと思う。気づいて みればアメリカ行きは目の前に迫っていて、前日になってもなかなか実感がわかなかった。
そしてアメリカ出発日当日、ちょっとした出発式をして、それぞれ親に見送られながら学校を出発した。バスに乗り、何度か休憩を 取りながら成田空港に到着した。ジェイソンさんと成田空港で合流し、空路ダラス経由、オーランドへ。
オーランド空港近くのホテルに着き、軽く食事に行こうということになり、ジェイソンさんの案内で、近くにあるレストラン (デニーズ)に入った。メニューはもちろん英語でよく分からなかったので、写真が載ってあった物と同じ物を注文した。 「アメリカに着いて初めての食事かぁ」と思い、お皿が運ばれてくるのが待ち遠しかった。しかし、料理が運ばれてくる前に 驚いたのは、水の入ったコップの大きさだった。日本のレストランで出されるコップを3つ重ねたくらいの大きさのコップに水が 溢れるほど入っていた。さすがアメリカと関心していると、待ちに待った料理が運ばれてきた。大きなお皿には、注文したサンドイッチと 大量のポテト。「これではサンドイッチとポテトをどちらを注文したか分からないなぁ」と思いながら、友達と半分ずつ食べた。 味はなかなかおいしかった。そして会計のときは慣れないドル札に戸惑い、ドキドキしながらも、なんとかチップも払うことができた。
2日目はケネディ宇宙センターに行った。大きなロケットの展示物や3Dのシアターなどは、どれも迫力満点だった。帰る途中、 昨日は暗くて気がつかなかったが、フロリダの道路はどこまでもまっすぐで、周りには高い木や池が多く、日本と違う風景に 「ついにアメリカに来たんだなぁ」と実感させられた。
ホテルに戻り、預けていた荷物を受け取り、外にいると、1台の車がやってきた。車から女の人や子供たちが降り、私に向かって 「ハロー」と声をかけてきた。私とホストファミリーとの初の対面だった。あらかじめ写真を送っていたため、すぐに私だと 分かったらしい。車に乗り込むと、お母さんが気さくに話しかけてくれた。しかし、英語が苦手な私は自分から何を話せば良いか 分からず、結局あまりしゃべらないままレストランへ着いた。メニューを見ていると、お父さんが話しかけてくれた。しかし、 あまりの英語早さに理解できず、分かったとしても何と答えたらいいか分からず、悔しくて泣きたくなった。「言葉ってこんなに 大切なんだ」と実感した。
3日目は老人ホームでのミニコンサートだった。司会だった私は、すごく緊張してしまい、まったく思い通りにいかず、演奏も 最悪だった。みんなに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。「本番では練習の半分の力も出し切れない、だから練習でできないものが、 いきなり本番でできるようにはなるわけない。」というアメリカに出発する前の先生の言葉を身にしみて感じた。
その日の夜ご飯はファミリーの手づくりだった。アメリカらしくステーキだった。ご飯の途中で、一緒にホームステイしていた 友達が具合が悪いということで部屋に戻ったため、私は一人残された。「どうしよう」という不安な気持ちでいっぱいになったが、 キャリーが話しかけてくれて少し安心した。キャリーは同い年なのに、すごく気が利く女の子で話しやすかった。折り紙を折ったり、 学校の話しをしていたら、時間はあっという間に過ぎていった。
4日目は、1日中ホストファミリーと過ごす日で、マナティを見に「スプリングブルー」に連れて行ってもらった。スプリングブルーは たくさんの自然で溢れていて、今にも恐竜が出てきそうだった。マナティを見るために、カヌーに乗った。日差しが強いため、 みんなでサングラスをかけた。なんだか自分もアメリカ人に仲間入りした気分だった。
その日の夜は、1番末っ子のモモと遊んだ。テレビゲームをしたり、折り紙をしたりなど、すごく楽しかった。寝る前に、明日の さよならコンサートで渡す色紙を書いているときに、ホームステイが明日で終わりなんて信じられなくて、少し悲しかった。
5日目はとうとう「さよならコンサート」の日。ファミリーの方々が持ち寄ってくれた食事もおいしかったし、演奏もなんとか 成功させることができた。ファミリーとゆっくりできる時間は今日が最後なのは悲しかったけれど、どのファミリーの方々も すごくいい方々で、とても楽しい夜になった。
6日目。あと数時間でお別れかと思うと本当に悲しかったし、少しの時間でも、すごく貴重に感じた。ファミリーとのお別れの ときは、自然に涙が出てきた。もっと英語をたくさん勉強して、いつかまた会いに来ようと思った。
そして、この日は、ディズニーワールドで演奏する日でもあった。ステージに立ったとき、今まで苦労してきたことが次々に 頭の中に甦ってきた。お客さんも曲に合わせて歌ってくれたりして、嬉しかった。演奏が終わった後、「今まで大変だったけど、 やってよかった」と本当に思った。
この後の2日間はディズニーワールドを回った。アメリカの人は、目が合うだけで、挨拶を交わしてくれ、すごくフレンドリー だった。ノリが日本人と全く異なり、日本とは違う国なんだということを改めて感じた。
たくさん中身のつまった10日間は、私にとって見るもの、感じるもの、すべてが新鮮だった。言語も違う中で、伝えたいことが あっても、必ずそれが相手に伝わるとは限らない。でも、問題なのは「伝わるどうかではなく、伝えようとする気持ちがあるかないか」 ということだ。気持ちがこもっていれば、言語が違っても、心で何か感じ取れるものがある。これは、今回だけに限ることではなく、 音楽にも、日々の生活にも言えることだと思う。
今回の研修で学んだことをこれからの日々の生活にも活かしていきたい。
「フロリダ研修で学んだこと」
呂 茉奈美(2年 クラリネット)
今回のアメリカフロリダ研修に参加するにあたって、私は「英語に興味を持つこと」、「アメリカという大きな国と接し、自分の 世界を広げる」という目標を決めていました。
アメリカへ行くことはとても素晴らしい機会である反面、時間のない中の練習やパートの仲間にかける負担が大きくなりました。 出発の日が近くなるにつれ、本当にアメリカに行けるのか不安になったこともありました。しかし、練習を続けていくにつれ、 11人全員が1人ひとりの責任の重さを実感し、最後まで諦めずに出発の日を迎えました。言葉の通じない土地に行くことや、 初めて家族と離れて正月を迎えるという不安などがありましたが、アメリカに到着した瞬間、不安はどこかへ飛んでしまいました。
アメリカについて一番最初に感じたことは、「空が広い」ということでした。広い空や、広い大地が日本では感じることの できないような解放感を感じさせてくれました。
アメリカ研修へ参加して、ディズニーランドや老人ホームでの演奏会などがありましたが、1番印象に残っているのは、やはり ホームステイです。今回の研修で私は初めてホームステイを体験しました。私たちを迎えて下さったホストファミリーの方々は とても優しく、緊張していた私たちにたくさん話しかけてくださりました。うまく自分の言葉を英語にできず、悔しい思いを しましたが、ホストファミリーの方々は分かるまで私の話を聞いてくれました。話を理解してくれたとき、理解できたときは 本当に嬉しく思いました。ホームステイを通して言葉の大切さや、自分の気持ちを伝える難しさを知ることができました。
ホームステイをしていくにつれ、英語というものに抵抗を感じなくなり、家族と本当に楽しく過ごせるようになりました。 家族の方はビーチに遊びに連れて行ってくれたり、友人のホームパーティーに招待してくれたりと、たくさんのことを私たちに 体験させてくれました。英語はうまく話せませんでしたが、日を重ねるごとに家族のみんなと仲良くなることができたと思います。
ホームステイ最終日、やっと仲良くなった家族とお別れをするときを迎えました。英文法など無視した私の話を、真剣に聞いて くれた家族と別れることはとても辛いものでした。しかし、それ以上に辛かったのは、ホームファミリーに出会えた嬉しさや、 3日間お世話になった感謝の気持ちを英語に表せないことでした。「もっと英語を勉強していれば」と何度も思いました。 別れるときは、「言いたいことを相手に伝えることができない悔しさ」と「まだ一緒に過ごしたい」という気持ちでいっぱいでした。
このホームステイを体験し、英語をもっと勉強したいと思うようになりました。今まで、何故英語を勉強しなければならないのか わからず、適当に過ごしていたのを後悔しました。今後からはこの悔しかった思いを忘れずに勉強していきたいと思います。
私がこのように思うことができたのもホストファミリーのみんなのおかげであり、グリーンバンドの皆さんのおかげだと思います。 私たちが研修に行くことができたのも吹奏楽部の仲間の協力があったからです。
そして、なによりこの研修に参加できたのは、両親が賛成してくれたからだと思います。帰りが遅くなったり、私がアメリカという 遠く離れた土地にいくことに不安もあったと思います。しかし、私のわがままを聞いて、心よく送り出してくれた親に本当に感謝 しています。今回のアメリカフロリダ研修で学んだことを、今後の部活動や生活面でも役立てていきたいと思います。
また、11人という少ないメンバーで演奏をする機会は今後ないと思いますが、この研修に参加できたことは私にとって 一生の思い出となりました。
今回研修で学んだことはたくさんあります。「文化の違いや言葉の大切さ」、そして「参加することができたという恵まれた 環境にいることに感謝する気持ち」を学びました。私は最初に立てた目標よりも素晴らしいものを学ぶことができたと思います。
今度はもっと英語を勉強してから、もう一度、アメリカに行きたいと思います。
「アメリカ最高!!」
昆野 里紗(2年 クラリネット)
アメリカで過ごした10日間は、言葉ではうまく表現できないほど、思い出がいっぱいで、内容の濃いものになりました。
私が今回アメリカ研修に参加したいと思ったのは、アメリカに行って演奏したいという気持ちももちろんありましたが、 一番の理由は「自分を見つめ直し、変わりたい」と思ったからです。しかし、アメリカに行って演奏するということは、そう簡単な ことではありませんでした。
曲の練習を本格的に始めたのは9月頃からでした。11人で演奏するため、楽器の編成に偏りが出てしまうので、メロディーを 増やしたりなど楽譜を書き換える必要があり、1曲を仕上げるのにとても時間がかかりました。また、アメリカ研修は部活外行事のため、 活動時間外に練習しなければならないため、時間が足りず思うように練習が進まないこともありました。
ディズニーのオーディション用の録音・録画までに曲が仕上がっておらず、「アメリカに行って演奏してくる」という意識が 低いことを実感しました。その後、オーディションも無事通過し、アメリカへ出発する日が近づいてきました。
出発する日が近づくにつれて不安がだんだん大きくなり、何度も「アメリカに行くのを辞めたい」と思いました。そのことを 友達に話すと「ここまでやってきたじゃん。一緒にアメリカ行こう」と言われました。私が抜けると残りは10人になり、「10人で 演奏するのと11人で演奏するのでは結構違うな」と1人ひとりの存在の大きさを感じ、最後まで頑張ろうと心に決めました。
とうとう出発の日になり、不安と期待でいっぱいでした。親に見送られ、仙台を後にしました。バスで6時間かけて成田空港まで 行きました。飛行機に乗り、そこから長い長いフライトが始まりました。周りには外国人がいっぱいいてドキドキしていました。 キャビンアテンダントも外国人でドリンクサービスも英語で話しかけられ、片言ではありましたがなんとか会話することができました。 ドリンクを渡されるときに「Smile Girl」と言われました。なぜそう言われたのかはわかりませんが、嬉しかったです。
そして経由地ダラスに着き、待ち構えていたのは入国審査でした。2年前にアメリカ研修へ行かれた先輩のお話を聞くと、 「入国審査が怖かった」とおっしゃっていたので、「無事に終わればいいな」と思っていました。
しかし、無事には終わりませんでした。怖い顔のおじさんが何を言っているのか全然わかりませんでしたが、知っている単語を 使い、なんとか審査を通ることができました。審査を終えた私は、後輩を待っていました。後輩はとても困った顔をして審査官と 話していました。「大丈夫かな」と思って見ていると、手招きをされ、私も審査官のところへ呼ばれました。
たくさんの質問をされましたが、全然答えることができず、舌打ちをされ、「Come over here」と言われ、奥のほうに ある部屋へ連れていかれました。その部屋にいた審査官に入国審査のときと同じ質問をされましたが、今度は優しそうな審査官 だったので安心して答えることができました。パスポートにハンコを押してもらい、部屋を出ることができました。その部屋に いたのは10分くらいだったと思いますが、とても長く感じました。他のみんなと合流した時は本当に安心しました。
飛行機を乗り換え、オーランドに到着し、ホテルに荷物を置いた後、みんなでご飯を食べに出かけました。当たり前ですが、 メニューが全て英語で書いてあり、アメリカに来たんだなと実感したと同時に、知っている単語が少ししかなく、英語力のなさに 改めてショックを受けました。出てきた料理は大きくて1人で食べ切れる量ではありませんでした。アメリカは食べる量が多いのは 知っていましたが、予想外の量と大きさに驚きました。
このアメリカ研修で楽しみにしていたのは、ホームステイと演奏でした。ホストファミリーとの対面はとてもドキドキしました。 入国審査のことをなかなか忘れられず、うまくやっていけるか不安でしたが、笑顔が素敵なお母さんのレベッカと私たちと同い年の エリカに出迎えられ、不安は一気になくなりました。
私がお世話になったホストファミリーは5人家族で、車が大好きなお父さんのモーリス、優しいお母さんのレベッカ、そして 3人兄弟の長女のしっかり者のエリカ、バリトンサックスを吹いている弟のアレックス、フルートを吹く元気一杯な妹のレベッカ。 みんな明るくて元気な笑顔の絶えない家族で何1つわからない私たちを優しく迎え入れてくれました。
ホストファミリーと過ごしてみて大変だったのは、言葉の壁があるということでした。最初はジェスチャーや単語を並べて いましたが、だんだんと口調や雰囲気などで伝えたいことを理解できるようになりました。学校で英語を習っているのにいざと いうときに自分の気持ちを伝えられず、落ち込むこともたくさんありました。そんなときでもホストファミリーは励ましてくれて、 「もっとたくさん話せるようになりたいな」と思いました。
そして、ホストファミリーと過ごす最後の日、全家庭を招待して「さよならコンサート」を開きました。「コンサートが 終わったらホストファミリーとももう少しでお別れなんだな」と思うと、素直に臨めない自分もいましたが、「今まで英語では 伝えられなかった思いを音楽で伝えよう」と思い、演奏しました。5日間アメリカの家庭にホームステイをして、初めてのこと ばかりで戸惑ったこともありましたが、とても良い経験ができました。
演奏は、「老人ホーム」、「さよならコンサート」、「ディズニー」の3回行いました。どれも完璧な演奏とは言えませんが、 言葉が通じない外国で私たちの音楽をお客様に楽しんでいただけたことが一番嬉しかったです。私も演奏していて、ここまで 楽しいと思ったのは久しぶりで、とても楽しい時間を過ごすことができました。「音楽は世界共通なんだな」と強く実感しました。
今回のアメリカ研修にあたって、たくさんの方々に協力していただきました。お金など陰ながらいろいろ準備をしてくれた 家族、何度も学校に来ていただき説明会をしてくださったグリーンバンドの熊谷さん、研修に同行してくださったジェイソンさん、 そしてたくさん音楽面などで指導してくださった保科先生、練習時間を作ってくれた部員のみんな。数え切れないほどたくさんの 方が支えがあったからこそアメリカ研修は成功し、良い経験ができたと思います。アメリカに行って感じたこと全てが忘れられない 思い出です。今では入国審査も良い思い出となりました。アメリカで感じたり思ったこと、見たり聞いたりしたことなどアメリカで 学んだことを1つも無駄にせず、これからの高校生活、そして人生に活かしていきます。今回一緒にアメリカに行ったみんなには、 本当にいろいろな面で助けてもらいました。みんなと一緒にアメリカに行けて本当によかったです。
アメリカ研修をご支援・ご協力してくださった多くの方々、本当にありがとうございました。
「アメリカで得たもの」
関本 智奈美(2年 クラリネット)
私が今回アメリカ遠征に参加して得たものは、数えきれないほどたくさんあります。「日本にはあってアメリカにはないもの」、 「どれだけ私がいろいろな人々に支えられているか」よく分かりました。日本で何不自由なくしていることでも、アメリカでは できないことが山ほどあるのです。
2日目に行ったケネディー宇宙センターでは、アメリカのNASAについて宇宙飛行士の映画や3Dなどを見ることができました。 月面に初めて人間が降り立ったのを見たときは、とても感動しました。
ホームステイをした27日は、私にとって初体験のことばかりでした。普段何気なく喋っている言葉では相手には通じません。 また、自分が英語に訳して話しても通じることは、決して多くはありませんでした。「自分から相手に伝えること」、「自分が 今何をしたいのか」、「曖昧な返事でもどうにかなるものも、アメリカではYesかNoではっきりしなくてはならないこと」が 私にとって困難でした。
私たちを受け入れてくれたロメロファミリーは、みんな親切な人たちで優しく接してくれました。一生懸命自分の知ってる 単語や辞書を使い、会話をして伝わったときはとても嬉しかったです。そのおかげで仲間とも今まで以上に仲良くなれたと思います。
Ericaは「映画に一緒に行こう!」と私たちを誘ってくれました。もちろん日本語の映画なんてありません。全て英語の映画でした。 分からない言葉がたくさんありましたが、雰囲気やニュアンスでストーリーが分かりました。
その後は近くの小学校でバスケットボールをして遊びました。言葉を喋らなくてもバスケットボールをできたことは良い経験に なったと思います。
また、日本ではダメな学校の規則などがアメリカでは大丈夫なこと、「異文化はこういうことなんだ」と改めて実感しました。
その夜お父さんが作ってくれたハンバーガーはとても美味しかったです!! 今まで食べたハンバーガーの中でも1番美味しかった かもしれません☆ ホームステイをした4日間、見ず知らずの私たちを受け入れてくれたロメロファミリーにはたくさんお世話に なりました。私はこの4日間を決して忘れません。また、いつかロメロファミリーに会える日を楽しみにしています。
アメリカでの最後の演奏は、Disney Worldでした。演奏した『YMCA』は予想外に大人気で驚きました。お客さんはみんなノリが 良く、一緒に踊ったり歌ったりしてくれたので、私たちも楽しく演奏できました。私たちの演奏がどこまで通じるか不安でしたが、 一緒に音楽を共有できてすごく嬉しく思いました。音楽は世界共通であり、私は「今まで音楽をやってきて良かったな」と心から思えました。
演奏終了後、1番最初に行ったマジックキングダムでは道の途中で大音量で音楽がかかっていて、みんなDISCOのように踊って いました。自分たちの演奏した曲が偶然にも、たくさんかかっていたので私たちも楽しく踊りました。アニマルキングダムなど 日本のDisneylandにはないアトラクションに乗ることができて、すごくenjoyしました!
7日目には、Disney映画のバックミュージックとして、自分たちがアニメに合わせて演奏する「サウンドトラックセッション」を しました。初めて楽譜を見て演奏する初見が私は苦手でしたが、コンダクターのRichさんに注意するべきことを教えていただいた おかげで初見のポイントがよく分かり演奏できました。3時間という短い時間の中で、自分たちのためになることを学べたし、 少しだけアメリカのノリが分かったような気がします。アメリカはフレンドリーな人たちが多く、知らない人とでも仲良くできて 楽しく話せるのが良いところだと思いました。
私にとってこの10日間は、毎日が新鮮で毎日がとても楽しかったせいか、あっという間に過ぎてしまいました。「自分から アクションを起こすこと」、「自分から積極的にいくこと」を一番多く学びました。 また、ホストファミリーと過ごした時間では、 「家族の大切さ」、「友達の大切さ」を実感することができました。 今回の遠征で、「日本とは違う異文化に触れること」、 「言葉を越えて音楽を共有したこと」、「言葉が通じない中で友達と一生懸命伝えたこと」、普段日本にいてなかなか味わえない 大切なものを学びました。 長時間飛行機に乗ったり、急に風邪をひいたり大変なこともありましたが、行って本当に良かったなと 思える旅になりました。
今回、アメリカ遠征に協力してくださった熊谷さん、えみこさん、部員のみんな、家族のみんな、保科先生、今まで何ヵ月も 前から一緒に練習をしてきたアメリカのメンバーのみんな、ホストファミリーのみんな、そしてアメリカに連れていってくれて 10日間一緒に旅をしたJasonに感謝します!!! Thank you very much for everything☆
「最高の思い出 IN オーランド」
千葉 美冴(2年 ホルン)
日本時間12月26日9時30分頃、私たちは学校を出発した。出発には家族や友達が温かく見送ってくれた。バスで成田空港に到着。 この研修でとてもお世話になるジェイソンと合流した。初の国際線。搭乗手続き、出国手続き・・・・。まだ日本語だけれど、 みんなどきどきだった。
すべて終えてやっと搭乗。飛行機の乗客はもちろん外人ばかりで、スチュワーデスも外人だったので、飲み物を頼むだけで 一苦労だった。約10時間の長旅を終え、乗換えをするダラスに到着した。もう周りは全て英語で、売っているものもドルに なっていて、やっと外国にいるんだという実感がわいてきた。
ダラスを飛び立ち、アメリカ時間12月26日22時頃、目的地のオーランドにようやく到着した。人、建物、風景全てが違い、 車で通る道も何もかもが新鮮だった。
2日目、ケネディー宇宙センターへ向かった。12月とは思えないほど暑く、日本の夏くらいだった。ロケットは見れなかったが、 広い敷地に発射台や滑走路、訓練所などがあった。アメリカの宇宙に進出するという意識は高く、月に住む計画も立てられていて 希望を感じられた。
夕方はホストファミリーと初対面。私が一番不安に思っていたときがやってきた。見ず知らずのしかも外人の家に泊まるのは 楽しみもあるが、正直不安の方が大きかった。挨拶を済ませ、家に招かれた。アメリカの住宅地はきれいで住みやすそうな 環境だった。家に着いてから、慣れない環境に緊張し、2人ともうまく話せなかった。しかし、勇気を出して日本から持ってきた お土産を片言の英語で渡すとすごく喜んでくれた。特に扇子を気に入ってくれてほっとした。
3日目は老人ホームでの演奏。アメリカに来て初の演奏は、集中力があまりなく満足のいくものではなかった。折り紙タイムでは、 当たり前だが全く日本語が通じないので、ジェスチャーでなんとか説明をした。「ありがとう」と書いて手紙をプレゼントしたら、 逆に「ありがとう」という手紙をくれた。言葉が通じなくても、気持ちが伝わったことが嬉しかった。
4日目はホストファミリーと過ごした。この日はビーチとホームパーティーに連れていってもらった。「言葉が通じなかったら」と 不安だったが、自分から話しかけジェスチャーなどで伝えようとするとあちらも理解しようとしてくれ、優しさを感じた。
5日目はホストファミリーとの「さよならコンサート」。たくさんの感謝の気持ちを込めて演奏した。あんなに不安だった ホームステイも終わってしまうのが悲しかった。ステイ先のみんなが涙を流してくれているのを見て、この家族で良かったと 強く思った。最後の別れにもっといろんな気持ちを伝えたかったが、伝えきれないことがたくさんあった。
6日目。待ちに待ったディズニーワールドでの演奏。私たちの演奏会場はとても立派で、予約制のレストランだった。今まで 練習してきたことが発揮でき、何よりお客さんの拍手が本当に嬉しかった。最後に「ありがとう」と日本語で言ってくれた 人もいた。いつも以上に演奏に対する1人ひとりの気持ちが強かったと思う。それから7,8日目とレコーディングや新年の カウントダウンをし、忘れられない日々を過ごした。
はじめ、「アメリカに行くなんて」と思っていたら、もう帰国することになっていた。「本当に行けるのか」、「今のまま 行っても無駄になってしまうかもしれない」と何度も思った。できなくて落ち込んで、苦しくて泣いたときもあった。 でも、終わった今、この11人が仲間なんだと感じた。全て終わって残ったのは、「忘れられない思い出と課題とやる気」だと思う。
今回の研修で目標だったり、挑戦したいことが得られた。それを日本で生かし、努力する頑張りが必要なのだと強く感じた。 今思うのは本当に今回行った11人のメンバーで良かった。そして、アメリカに行って良かった。「人と人とのコミュニケーションの 大切さ」、「人の優しさ」、そして「音楽のすばらしさ」が実感できた。
研修に行くために指導して下さった先生、たくさんお世話になった熊谷さん、ジェイソン、支えてくれた友達、家族、温かく 迎えてくれたホストファミリーに心から感謝したい。ありがとうございました。
「相互理解」
菅原美由紀(2年 ユーフォニアム)
「ここがアメリカかぁ…」とアメリカの地に降り立ったとき、ほとんど実感が湧かずに、なんだか夢のようでした。
実感しはじめたのが一番はじめ空港で買い物をしたときです。食べ物が違う、お金の数え方が違う、言葉が違う。飲みもの ひとつ買うのもひと苦労で、大きな不安にぶつかりました。それと同時に日本では得られない体験ができるというワクワク感を覚えました。
言語の違いについては一番悩まされました。初めて本場の英語に触れるたのが入国審査を通るときです。何を言ってるか何を 聞かれているかどうかもわからず焦りました。優しい方だったので、聞かれていることを指さして教えてくれました。
荷物を受け取り、次の飛行機に乗ろうとしたときに、友達が入国審査で捕まってしまいました。「私が待ってるから先に 行ってていいよ」 誰かが何かをしなければならかったので待つことにしました。だが、少したってもまだこない。心配になり 探しに行きましたが、入国審査後の集合場所にはいませんでした。乗り継ぎの飛行機の時間も迫ってきていました。アタフタと していると「May I help you?」と警備員さんに話しかけられました。もうどうしたらいいか何を言えば良いかわからなかったです。
それから数分後、入国審査で捕まっていた人たちと会って、無事に飛行機に乗ることができました。私は言語という大きい 壁にぶつかってしまい、身動きができませんでした。自分の英語力の弱さを知りました。
フロリダに着き、3日目からホームステイが始まりました。私はホームステイを一番楽しみにしていました。入国審査の こともあり、「積極的に行動することを目標にしていこう!!」と思いました。私たちはロメロファミリーでホームステイをしました。
食事が始まる前に私たちが「いただきます」をしていたら、長女のエリカもマネして一緒にしてくれました。すごく嬉しかったです。 それから毎日私たちは食事の前には「いただきます」をするようになりました。
食事を食べ終わったあとにエリカが写真を見せてくれました。マーチングの仲間の写真で、自分が何の楽器を吹いているかとか 親友の話をしてくれました。そして私も写真を取り出して友達の説明をしました。「何をどう言えば伝わるだろうか。相手の気持ちに なって考えて話せばきっと伝わる…。アメリカ人だろうが日本人だろうがそれは人として当たり前のことだ」ということに気がつきました。
友達がシャワーを浴びている間に、エリカと妹レベッカと一緒に遊んでいました。ピアノがあったのでレベッカが弾いてくれたり、 友達が弾いたりしました。「音楽は言語と違って異なることはないんだなぁ」と思いました。どんな国の音楽でも人に感動を与えて 楽しさを与えてくれる音楽の偉大さに感動しました。
1日フリーDAYの日の午前中は映画を見に行き、午後は小学校にバスケットをしに行きました。その頃には英語に対する抵抗が 薄れてきて少しずつ話せるようになってきました。やはりスポーツも世界共通で、激しくそして楽しくバスケができました。 疲れてきたので、休憩をしながらお互いの学校のことや日本語について話しをしました。エリカや友達のヤーヤーが、日本語を どんどん使ってくれて、教える方も楽しかったです。「お互いのことを知ろうとする気持ちがあれば、言葉が足らなくたって 理解ができるんだなぁ」と思いました。
次の日は「さよならコンサート」。開演前、今できる精一杯の演奏をしようと練習をしましたが、なかなかうまくいかずに いました。ホストファミリーの方々が到着してきたので練習も終了。ロメロファミリーもきました。待ち時間が暇だったので、 弟のアレックスとレベッカに鶴の折り方を教えました。やはりあまり指先を使うことがないせいか、ちょっといびつな鶴に なってしまいましたが、かっこいい鶴もできました。
食事が終わってついに演奏。1曲目からとても緊張して指が震えていました。こんなに緊張したのは久しぶりでした。 指揮のコーナーでエリカが指揮をすることになったのですが、「すごく遅くなったり早くなったり…」。 少し笑ってしまい ましたが、「エリカらしいなぁ」と思いました。
演奏は思っていたよりうまくいきました。そしてアンコールの曲がYMCA。アメリカでも人気の曲らしく、みんなノリノリで 聞いてくれました。演奏が終わってプレゼントをもらったときには号泣してしまいました。ホームステイの4日間たくさん 戸惑って大変でしたが、このあったかいファミリーに出会えてとても幸せでした。
その夜はエリカとアレックスとレベッカに自分の名前をひらがな、カタカナ、漢字に書いてあげて渡しました。一番カタカナが 好きみたいでした。そのあとはいろんな読み方を教えてあげたり日本語の発音を書いてあげたりしました。いろんな質問をされて 戸惑いましたが、たくさんのことに興味を持ってくれて理解してくれたので嬉しかったです。さまざまな壁にぶつかっても 「なんとかしよう」、「どうすれば伝わることができるのか」を考え、 「伝えたい、知りたい」という気持ちがあれば、 文法がめちゃくちゃでも発音がうまくなくても伝わるものだとわかりました。 音楽もそうです。伝えたい気持ちがあり、 それを知りたい気持ちがあるから感動が生まれるのです。
最後に、アメリカに行ったことが私を大きく成長させてくれました。私はこの研修を絶対忘れることはないと思います。
「Big Treasure〜大きな宝物〜」
井筒 智成(2年 バリトンサックス)
私が今回のアメリカ遠征に参加した一番の理由は、「音楽やホームステイを通じて異文化に触れて理解したいこと」です。 最初は計画そのものを立てるのが少し遅く、人数が集まるか心配でした。結果的に参加希望者は、前回と同じ11人と少人数で 練習も大変でした。しかし、練習を重ねていく中で、11人全員が「アメリカの地に行って演奏をし、たくさん学んできたい」と 一致団結し、苦しい練習を乗り越えて出発の日を迎えました。
出発の日の朝、起きてから集合場所の学校に行く間、「自分の英語は通じるのだろうか」「ホストファミリーの人はどんな人 なんだろう」と思うこともありましたが、荷物を持って学校に着いたときには、もうそんな不安はありませんでした。荷物をバスに 積み込み、出発式の後に目的地の成田空港へ出発しました。
成田空港に着くとジェイソンさんが待っていました。ジェイソンさんは英語と日本語を使い分けれる方なので、現地では私たちに とって心強い方でした。ジェイソンさんと合流した後は荷物を預け、出国手続きを済ませ、飛行機に乗りオーランドへ向けて出発しました。 オーランドに到着すると、宿泊予定のホテルからの迎えのバンが来ていました。ホテルへ着くと、飛行機や時差ボケの疲れなどの影響で、 その日は夕食をとった後に直ぐに寝てしまいました。
2日目は、ケネディ宇宙センターを見学し、宇宙のことや宇宙ロケット「アポロ」のことを学びました。その日の夕方からはホーム ステイが始まりました。ショッピングセンターの駐車場に集合し待っていると、私のホストファミリーのアイーダさんとビクターいう方が いらっしゃいました。アイーダさんはとても優しい方でビクターは、私と同じでゲームや映画が大好きで、明るい人でした。それからの ホームステイの時間は、2日や3日がとても短く、あっという間にホームステイ最終日の「さよならコンサート」の日を迎えました。 さよならコンサートは、演奏したYMCAが予想外にウケがよく、ホストファミリーの皆がすごく楽しんでいました。終わった後は、 「今日でファミリーの皆とお別れなんだなぁ」と思い、非常に寂しかったです。
ホームステイが終わり、いよいよディズニーランドでの活動が始まりました。最初はディズニーワールド内のステージでの演奏でした。 大晦日の夜の演奏ということもあり、人がかなり多く、緊張しました。バンドの仲間やホストファミリーのことを思うと、「せっかくの ディズニーのステージなんだから、楽しんで演奏しよう!」と決意しました。私はそのステージを楽しむことができました。演奏後、 ディズニーワールド内にて、年越しをした後、ジェイソンさんの運転するバンでホテルに帰り、その日は眠りに就きました。
次の日は「サウンドトラックセッション」というディズニーの映画に合わせて生録音するということをやりました。指導をして いただいたリッチ先生はとても面白くユニークな考え方をしていらっしゃる先生で、楽しく録音することができました。録音した 演奏をその場で聞かせていただくと、低音楽器を担当する私にはバンドを支えるのと、バンドを前に進める力がまだまだ足りないと 実感しました。これからは低温楽器に必要なそれらの力を身につけて、バンドを引っ張っていこうと思います。サウンドトラック セッションが終わった後は、ディズニーワールド内MGMスタジオでアトラクションを楽しみ、その日を終えました。
次の日は、1日ディズニーワールド内のアニマルキングダムとエプコットを回り、アトラクションに乗って楽しんだり、 お土産を買ったりして1日が終わりました。
最終日、ホテルを出発しオーランド空港へ。オーランド空港からは行きと同じようにダラス空港を経由し、成田空港へ向かいました。 ジェイソンさんとは成田空港でお別れになりました。ジェイソンさんには旅が始まる前から来校していただいたり、実際に現地で 大変お世話になったので、感謝の気持ちを込めて歌と色紙を贈りました。ジェイソンさんには心から感謝しています。
今回、アメリカでの経験を通して感じたことは、「自分の考え、気持ちを相手に伝えることの大切さ」です。こちらが伝えなくては、 相手はこちらが何を考えていて、何をしたいのかわからない。以前はそんな状態に陥ってしまいがちでした。今回を機に相手に自分の 考えや気持ちを伝えられるように努力しようと思います。そして今回、共に笑い、苦しみ、楽しんだ仲間と保科先生へ本当にありがとう。 そして、ジェイソンさん、熊谷さんへ。たくさんの素晴らしい経験をありがとうございました。
「アメリカ研修に参加して」
渡辺 佳寿美(1年 ホルン)
私が今回アメリカ研修に参加することを決めたのは、小さい頃からもっていた、「ホームステイをしたい」という夢をかなえて くれるものだったからです。不安や心配もありました。「アメリカの幼児よりも劣る私の英語力で本当に大丈夫なのか」、「両親に 金銭面で迷惑をかけてしまうのではないか」、「通常の部活動の練習時間外に行うアメリカ遠征のための練習についていけるのか」。 しかし、熊谷さんやジェイソンさんの話をお聴きし、言葉の通じない国の家庭で素晴らしい時間を過ごしてきたことをビデオで 見ているうちに、自分もぜひ経験してみたいと強く思うようになりました。しかも大好きなホルンと一緒に参加できるなんて、 それこそ夢のような話でした。
旅行中、電子辞書をあまり使わないと心に決め、宿題の一部と共に飛行機に乗りました。初めて乗った飛行機は最高でした。 アテンダントと片言でも英語を使ったときには、ワクワクしました。「オレンジジュース、プリーズ。」
無事にアメリカに到着。夢をかなえてくれたクマーさんのお宅では、初めは緊張して思うように話すことができませんでした。 しかし時間が過ぎるごとに仲良くなり、休日にはドライブに行ったり、ゲームをしたりして打ち解けあうことができました。言葉が うまく話せなくても人種が違っていても、心が通じ合うことを実感することができました。また、一緒に話をしている中で、 アメリカの子供たちは自分のことだけでなく、「困っている人を助けたいという気持ち」、すなわちボランティア精神が自然に 備わっていることも強く感じました。
アメリカに住んでいる皆さんは素晴らしい人ばかりでした。どこに行っても本当にびっくりするぐらい多くの人が「どこから来たの?」 などと気軽に声をかけてくれます。乗り物の中でも、レストランでも目が合えば微笑みかけてくれます。日本人なら電車の中で目が あっても、見てなかったふりや知らないふりをするでしょう。
もっと凄いのは、感動を体全部で自然に表現できることです。音楽があって楽しいときは、本当に自然に踊り出します。演奏している 私たちまでとても楽しくなってきます。私も自然にそのノリの中に居ました。うまく説明できませんが、心から楽しいのです。 周りの知らない人同士で盛り上がったり、はしゃいだりできるのです。日本人は人の前で何かを表現するのが恥ずかしいのか、改めて 下手だと思いました。楽しいときや嬉しいときは、もっと素直に体で表現できるといいと思いました。
最後に、熊谷さん、ジェイソンさん、アメリカで協力してくださった皆さん、保科先生,部員の皆さん、両親に感謝しています。 素晴らしい研修に参加させていただいて、本当にありがとうございました。
「アメリカで学べて」
安部みずき(1年 トロンボーン)
もともと異文化や外国について興味があった私は、アメリカ研修の話を聞いてとても胸を踊らせました。部のホームページなどで、 この計画があったことは中学の頃から知っていましたが、まさか現実として行けるとは夢にも思っていませんでした。
しかし、実際には経済的問題や親の説得など、行く段階に至るまで大変なこともありました。とくに親には「本当に行きたいの?」と 自分の意志を問われることも多く、「このチャンスを逃したくない!!」という強い意志を伝えることが難しかったです。
他にも問題はたくさんありました。少人数の練習の難しさ、テスト期間を練習に費やす勇気や焦り、他の行事もあって、 あっという間に過ぎる毎日でした。『普段の部活とアメリカの練習を両立することは大変だ』ということを分かっていたつもりでも、 ここまで自分の甘えた考えに直面するとは思いませんでした。そもそもグリーンバンドの目的さえ忘れてしまうくらい多忙な日々を 乗り越え、当日を迎えました。
当日の朝、自分のことのように心配してくれた家族に明るく見送られて、私たちはあやふやな実感のまま成田空港,そして アメリカ テキサス州ダラスに向かいました。現地では耳に溢れるスピードのある英語,入国審査は忘れられない莫大な緊張も 体験しました。そうしてとうとう夢だったアメリカ フロリダ州オーランドの地に到着したのです。
10日間の中で特に心に残っているのは、老人ホームでのミニコンサートです。看護や介護に興味がある私は、アメリカの 老人ホームで演奏は貴重な体験になりました。アメリカのお年よりはとても明るく活発な方が多かったです。日本人がいきなり 演奏したことにも関わらず、皆さん笑顔でノリよく聞いてくださいました。特にYMCAやアメージンググレイスでは、私たちの演奏に 混ざり合い、皆が1つになったのを感じました。私はそんな光景を見て心から嬉しかったです。演奏後におばあさんから「演奏してくれて ありがとう。よかったよ」と声を掛けて下さったときは、涙が出るくらい感動しました。
もう1つはホームステイです。初めて行く海外でホームステイができることはとても楽しみでしたが、「英語も苦手で生活が 成り立つのか」、「迷惑はかけないだろうか…」。たくさんの不安がありました。しかし、Kumar一家の皆さんは仲がよく、 1人ひとりが個性溢れる素敵な家庭でした。お母さんのキリさんは韓国人ということもあり、料理がとても上手で私たちのことを よく気遣ってくださいました。お父さんとは残念ながら仕事の都合上、お話しをすることは少なかったのですが、とても面白い 方でした。18歳で長女のジャッキーはクールでしっかり者、16歳で長男のベンはムードメーカーで、不安げだった私たちを たくさん笑顔にしてくれ、二女のジョーは明るく優しいとても良い子でした。
そんな良い家庭に恵まれても、やはり言葉の壁は厚く、1日目は分かる単語や身振り、電子辞書でしか会話ができませんでした。 ベンが私たちのためにパソコンの和訳でさまざまなことを教えてくれたときは、「もっと勉強しておくべきだった」と自分が 情けなかったです。
悩みに悩んだホームステイ1日目は終わり、次の日からは音楽に合わせてダンスを創ったり、SEA WORLDという水族館や 絶叫ジェットコースター、自宅前の池で魚の餌やり、買い物、マーチングバンドの練習見学、ゲーム、お絵描きなどをしました。
そうしてたくさんの思い出を胸に迎えた"さよならコンサート"は、お世話になった家族の前での演奏ということで今までに ないくらい緊張しました。
残念だったのが、その前日あたりから体調を崩してしまったお母さんが来られなかったことでした。しかし、家族の皆は 演奏しているときも笑顔でいてくれ、会場全体も盛り上げてくれました。終盤になるに連れ、だんだん目頭が熱くなりました。 演奏後にプレゼントをいただいたときは、不安だった思いと感謝の入り交じった思いで涙が止まりませんでした。
次の日は遂にお別れの日です。相当具合が悪かったのに私たちに辛いところを見せなかったお母さん・・・。明るい子どもたち 3人に見送られました。「またいつでもきてね」と言って貰えたときは、涙を堪えるのに必死でした。ホームステイでしか 味わえない感動だったと思います。
日本ではこのようにホームステイとして快く外国人を受け入れることはできるしょうか?きっと簡単にできることではないと 思います。私たちのために車を出してくれたり、コンサートを企画してくれたり、アメリカの方は本当に心が広い良い方ばかり だったと思います。
そのことはディズニーでも感じられ、大晦日の日にあのような素敵なステージに用意してくれたディズニーの方や お世話してくださった方・・・・。最後には非売品のプレゼントまでいただき、最高の思い出でした。
最後にここまで良い経験をさせてくれたジェイソンさんには心から感謝しています。ジェイソンさんも疲れているのに ずっと元気な姿で通訳からドライバー、健康管理までしてくれました。普段部活では何気なく感謝する・・・感じですが、 アメリカではそれが凄く大きかったです。そんなジェイソンさん無しではこのような感動はあり得なかったです。また熊谷さんも いつも遠く京都から説明会など来ていただき、大変お世話になりました。ありがとうございました。
私はこのアメリカ研修で学び、感じたことがいっぱいあります。世界が広がったし、将来の希望もふくらみました。 すべてのことが貴重な体験で、とても高校生で叶うような軽い計画ではありません。それを可能にして応援してくれた、 友達、先輩、先生、そして家族。この計画に参加して本当に良かったです。これからもこの経験を活かし頑張ります!!
ありがとうございました。
「アメリカ研修を終えて」
山中 聖(1年 トロンボーン)
10日間に渡って行われたアメリカ研修。人間として成長できた良い機会だったと思います。中でも、特に学んだことは 大きく5つあります。
1つ目は、協調性。それは準備の段階から自分たちに足りなかったものだったと思います。曲や歌で、全員で合わせるとなると 皆が楽譜にかじりつき、今どこの小節なのか分からなくなり、音を外すなど、皆が自分のことで精一杯になってしまいました。 また、演奏だけでなく、意見を募っても一定の人しか言わない、もしくは沈黙する。演出の振り付けがなかなか合わないなど 悪戦苦闘でした。しかし、薄々気づいたのか次第に発言する人が増え、それによって練習もより濃いものにすることができました。 それは本番でも活かされ、まとまりのあるサウンドにできたと思います。
2つ目は、時間の大切さ。自分自身の一番の反省点ではないかと思います。7日目のサウンドトラックセッションで 講師の方から「時は金なり」と言われました。その通りだと感じました。今までの生活を振り返るとどれだけ時間を無駄に してきただろう。また、この研修中、自分は早く寝ようとしても毎回12時過ぎ。その疲れがでたのか最終日に寝坊。出発も遅れ、 危うく飛行機に乗り遅れるところでした。全員に迷惑をかけてしまい、申し訳なく思っています。時間の使い方はこれからの 自分の課題となりました。
3つ目は意思表示。自分は英語が得意ではないので普通に会話をするのは難しい。では、どうすれば相手に気持ちを伝えられるかを 考えました。文が作れなくても単語を並べ、感情を顔に表す、ジェスチャーをするという結果にたどり着きました。実践すると 相手も理解してくれて、楽しくコミュニケーションをとることができました。
それは音楽も一緒だと思います。ただ平坦に吹いても楽しんではもらえない。「自分はこうしたい」という気持ちで吹くのが 大切だと思います。今回演奏したある曲に自分のソロがありました。その部分で自分を輝かせたく、自分の音楽に対する思いを 響かせたいと言う気持ちで吹きました。若干うまく行かない点もありましたが、吹き終えた後の拍手を聞いて達成感がありました。 これからの部活でも自分の思いを音で伝えていけたらと思います。
4つ目は音楽の力。言葉は違うけど音楽はどこの国にでもある。もしかしたら音楽というものは言葉は通じなくても、 一番簡単にできる国際交流なのではないだろうかと自分は思います。また今回の演奏では、アメリカでも人気で、日本でも 歌われた「ヤングマン」が好評で、ステージと客席が一体化し、盛り上がることができたのはとても嬉しかったです。 また、さよならコンサートの時の「アメイジング・グレイス」では会場をしんみりさせて、涙を誘う雰囲気にできたと思います。 音楽は人の感情さえもコントロールすることができる凄いものなのだと実感しました。
最後、5つ目は感謝すること。今回のアメリカ研修に当たって、別のイベントと被っていながら自分たちの活動を理解し、 協力してくれた部員の方々、心配しながらも送り出して、夜遅い中、迎えに来てくださった保護者の皆様、アメリカでお世話になった ホストファミリーの方々、自分たちのために企画、諸準備、説明等をしてくださった熊谷さん、現地で通訳だけでなく、 多くの面で支えてくださったジェイソンさん、日頃から自分たちのことを思って指導してくださっている保科先生、そして準備から 研修終了まで協力し、支え合い、最高の音楽づくりをすることができたアメリカメンバー、本当に有難うございました。この研修で 培ったことをこれからの学校生活、部活動等で発揮していこうと思います。
保護者の声
針生実歩さんのお母様 針生利志子
初めにこの話を聞いた時に、(自分が行きたいと思うくらい)とても羨ましく思いました。異文化と接することは、地球人である ことを実感し、心をオープンにして自分を知るとてもよい機会です。この忙しい日々の中、諦めずに一つ一つステップ踏んで、 アメリカ研修を無事成し遂げることができましたね。本当によくやりました。おめでとうございます。日本に戻ってきたとき、 おそらく、本当に行ってきたのか信じられない・もっと英語が話せたらよかったと感じたのではないでしょうか?英語は地球語です。 テストでよい点を取るためだけでなく、自分の生きる力として、この機会に英語を身につけてほしいです。渡米中、一番使ったのは、 Thank youでしょうか。これからも、友人・家族・先生・自分の周囲へのThank youを忘れずに、アメリカでの経験を生かして いって下さい。
最後に、熊谷さん・ジェイソンさん・保科先生・ホストファミリーの皆さんに心から感謝申しまげます。ありがとうございました。
保護者の声
増子瑞姫さんのお父様 増子 正
I hope that you are having a good time in your last year of high school, because I am. Maybe one day after we finish high school, we can meet each other again in Florida or Japan. It is one of my dreams to go to Japan!
娘が見せてくれたホストファミリーである同い年のCary Earleからのメールの一節が今回のアメリカ研修の成果を物語っている。
高校生活最後の年を互いに有意義に過ごし、卒業後にフロリダか日本で再会できることを信じる絆が生まれているようで とても嬉しく思う。いつの日か彼女の願いである訪日が実現できるよう、私としても応援したいという気持ちでいっぱいだ。
わずか数日間という限られた時間のなかで、参加メンバーが、はるかフロリダの地に素晴らしい友人を作ってくれたことは、 研修のひとつの目標を達成してくれた証である。
「音楽で言葉の壁を克服したい」、保護者を交えた説明会で誰かが話した言葉を思い出させるように、老人ホームでの演奏、 フロリダのディズニーワールドでの演奏、WORKSHOPSでの録音が現実のものになった。言葉でのコミュニケーションは 今ひとつであったかも知れないが、“音楽”と“心”は、しっかりと通じた。
今回のアメリカ研修を、「異文化を知り、自文化を知る」機会にして、皆がこれからどんどん成長していく過程のなかで 視野を広げるきっかけにしてくれることを期待している。
アメリカ研修を無事に終えることができたのは、「有志の会」の研修という大変荷の重い役割を担ってくださった顧問の 保科先生のおかげであり、安全に旅程が進むよう綿密な計画を立てていただき、参加者に素晴らしい思い出を作って くださったグリーンバンド協会の熊谷氏と、渡米中ひと時も子どもたちから離れずに、お世話していただいたJason氏に心より 感謝申し上げる。
仙台高等学校グリーンバンドの活動が、今後も継続することを願って、お礼とさせていただきます。
参加者 山中 聖くんによるアメリカ フロリダ研修 行動の記録